診断時:38歳
インタビュー時:42歳(2008年8月)
近畿地方在住。2004年1月に右胸のしこりを発見。8ヶ月ほど放置し、嚢胞(のうほう)が10cmを超えるまでに大きくなったため、受診。右乳がんを診断された。乳房温存手術のみを実施。術後は無治療で、定期検診しながら、現在に至る。事務職の派遣社員で、夫と2人暮らし。子どもはいない。術後、仕事に復帰している。
プロフィール詳細
UKさん(仮名)が入浴中に右胸のしこりを発見したのは、2004年1月、正社員として働いてきた会社を退職し、海外で40日ほど過ごし、帰国した直後のことだった。2月から派遣の仕事が決まっていたこともあり、きっと良性だろうと、受診しなかった。1か月後、しこり近くの皮膚に小さい嚢胞(のうほう)ができ、3月下旬にはピンポン玉くらいの大きさとなった。しかし、そのまま仕事を続け、6月で派遣が終了。夫婦で旅行を予定していたので、婦人科で月経周期の調整のためピルを処方してもらう。その半月後、さらに嚢胞(のうほう)が大きくなってしまう。痛みはなかったが、さすがに異常であると感じ、帰国したら受診することを決意して、最後の旅行のつもりで、9月に1人で海外に出かけた。帰国後、ピルを処方してもらった婦人科を受診。そこではたぶん良性だろうと言われたが、乳腺外科を紹介され、マンモグラフィ、エコー、細胞診を行った結果、乳がんだと診断された。強いショックを受けたが、これではいけないと思い直し、インターネットで情報を集めてから、セカンドオピニオンを受けに行った。そこでも同様の結果が出たが、医師の説明の仕方がよかったため、その病院で手術することに決めた。
主腫瘍自体は2cm強であったが、嚢胞(のうほう)が10cm程の大きさになっていたため、温存は難しいということで、再建のことも考え、皮下乳腺全摘術を受けることにした。リンパ節については、後遺症が残ることを心配し、触れないでほしいと希望した。こうして一旦、手術を受けようと思ったのだが、また手術を受けることに戸惑いが生じてしまう。そして、主治医に「代替療法を受けたい」と伝えると、「1ヶ月という期限付きならよいだろう」と言われ、代替療法を開始。しかし、2週間後、嚢胞(のうほう)がどんどん大きくなり、不安が募り、受診。やっと手術を受ける決心がつく。11月末に手術のために入院。手術は結局、全摘せずに済み、乳房温存手術が行われた。手術後に主治医から説明があったときは、乳房を切除せずに済んだことが嬉しくてたまらなかった。
術後の病理診断は腺扁平上皮がんという珍しい種類の浸潤がんで、HER2もホルモン感受性もなかった。術後、主治医がいろいろな状況を検討した結果、温存ではあるが、放射線療法は特には必要ないということだった。抗がん剤療法についても、再発が低リスク群であったため、自分の意思で受けないことにした。したがって、術後は無治療で定期的に検診を受け、現在に至る。
自分ががんであることはショックなことだったが、自分が告知を受けた以上に両親に伝えることはつらかった。現在は、派遣で仕事をしながら、趣味の旅行を楽しんでいる。がんになったことは決してネガティブなことではなく、これからは患者サポートをする側として自分の経験を生かせたら、と考えている。
主腫瘍自体は2cm強であったが、嚢胞(のうほう)が10cm程の大きさになっていたため、温存は難しいということで、再建のことも考え、皮下乳腺全摘術を受けることにした。リンパ節については、後遺症が残ることを心配し、触れないでほしいと希望した。こうして一旦、手術を受けようと思ったのだが、また手術を受けることに戸惑いが生じてしまう。そして、主治医に「代替療法を受けたい」と伝えると、「1ヶ月という期限付きならよいだろう」と言われ、代替療法を開始。しかし、2週間後、嚢胞(のうほう)がどんどん大きくなり、不安が募り、受診。やっと手術を受ける決心がつく。11月末に手術のために入院。手術は結局、全摘せずに済み、乳房温存手術が行われた。手術後に主治医から説明があったときは、乳房を切除せずに済んだことが嬉しくてたまらなかった。
術後の病理診断は腺扁平上皮がんという珍しい種類の浸潤がんで、HER2もホルモン感受性もなかった。術後、主治医がいろいろな状況を検討した結果、温存ではあるが、放射線療法は特には必要ないということだった。抗がん剤療法についても、再発が低リスク群であったため、自分の意思で受けないことにした。したがって、術後は無治療で定期的に検診を受け、現在に至る。
自分ががんであることはショックなことだったが、自分が告知を受けた以上に両親に伝えることはつらかった。現在は、派遣で仕事をしながら、趣味の旅行を楽しんでいる。がんになったことは決してネガティブなことではなく、これからは患者サポートをする側として自分の経験を生かせたら、と考えている。
インタビュー30
- 一旦はがんだと受け止めたが、ショックというよりだんだん「なんで自分が」と腹立たしくなってきて物に当たったりした
- がんと聞いて「がーん」という言葉が頭をよぎった。がんイコール死を連想するというが、自分の場合は乳房を切除するショックが大きかった
- ランキング本や病院の評判を参考にして、今の病院に行って主治医に出会えた
- 皮下乳腺全摘をすることにしたが、浸潤していない可能性が高いなら、センチネル生検も含めて、リンパ節には触らないで欲しいと頼んだ
- がんが小さくなれば乳房を温存できると思い、1ヶ月だけのつもりでメシマコブを試したが、乳房の嚢胞がどんどん大きくなってしまったので、2週間であきらめて手術の予約を入れた
- まず母親に話して、留守だった父親に伝えてもらった。入院前に両親に会いに行ったら、父親は言葉には出さなかったが、涙を目に浮かべてとても心配していた
- 友人たちが普通に付き合ってくれたのが嬉しかった。患者というのはただ話を聞いてもらえればそれで落ち着くこともある
- 30代後半で罹患したが、出産可能なぎりぎりの年齢であり、ホルモン療法を5年受けるとなると人生の設計図が変わってしまうので、葛藤がある