診断時:62歳
インタビュー時:64歳(2008年8月)

北陸地方在住。2006年9月に右乳がんの診断を受けた。術前抗がん剤治療の後、右乳房温存術+リンパ節郭清、術後放射線療法を受け、現在ホルモン療法中。 乳がん発症当時は、母親と息子と3人暮らし。広告関係の仕事に加え、複数のNPO活動に携わっており、治療中もスケジュール調整しながら、継続した。

プロフィール詳細

UAさん(仮名)は、2006年1月頃、入浴中、右胸に小豆大より小さいしこりを発見した。しこりが非常に小さかったことと、仕事の予定が詰まっていたこともあり、しばらく様子を見ていたが、徐々に大きくなってきたため、2006年9月に自宅近くで乳がんの専門医がいる病院を受診。右乳がんの診断を受けた。しこりを見つけた時から、がんである可能性を考えていたので、それほどショックは受けなかった。医師から、腫瘍が乳頭近い場所であり、乳頭を残すには術前に抗がん剤治療をして、しこりを小さくすることを勧められた。医師の説明に納得できたので、勧められた治療を受けることにした。

抗がん剤治療は、まず、4週間周期で4回の点滴治療を行った。このときは白血球の低下する周期に合わせて、外に出る仕事を控えるなどしてスケジュールを調整しながら、ほとんど変わりなく仕事を続けることができた。次に、薬剤を変えて、また4週間周期で4回の点滴治療を行った。後半の薬剤では、むくみやしびれなどの副作用が出てきた。治療の回数を重ねたため、抗がん剤の影響も積み重なり、体力低下を感じた。しかし、仕事は調整しながら何とか続けて、予定の治療を終了できた。その頃には、しこりはほとんど触れないくらいに小さくなっていた。

手術は、8ヶ月後の2007年6月、乳房温存術+リンパ節郭清が行われた。術後は経過良好で、退院後は放射線療法を受けた。放射線の治療は、週に5回の通院で5週間通った。照射部位に軽い日焼けのような変化があったが、特に問題なく、終了した。そして、ホルモン療法としてアリミデックス錠を5年間の予定で内服開始し、現在に至る。

乳がん発症当時は、母親と息子と3人暮らし。認知症を患っていた母親の介護を考え、自宅近くの病院を選択した。仕事は、広告関係の仕事に加え、複数のNPO活動にボランティアとして積極的に携わっており、多忙な日々を過ごしてきた。術前の抗がん剤治療を乗り越えられた理由として、治療中もNPO活動などで社会的な責任を担っていたことが治療に取り組む気力につながったと思っている。また、人間の体が本来持っている力を引き出すことが大切であり、それを助けるのが医療の役目と考えており、抗がん剤治療を選択した後も、食事や休息に気を配り、体力維持に心がけたことがよかったと思っている。

私は: です。

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