診断時:37歳
インタビュー時:41歳(2008年9月)
離島在住。2004年3月、左乳がんを診断され、左乳房温存術+腋窩リンパ節郭清術、放射線療法を受け、ホルモン療法を開始。2006年1月、右乳がんの診断で右乳房温存術を受けた。2008年春には、境界悪性卵巣腫瘍で左卵巣摘出術を受けた。当時は母親と姉弟の4人暮らしで看護師をしていた。現在は、マッサージサロンを開き、1人暮らし。
プロフィール詳細
SYさん(仮名)は2004年2月、何かの拍子に左胸のしこりに気づき、怖かったが、放置するのも怖いと思って、2日後に姉の勧めてくれた乳腺専門クリニックに行った。マンモグラフィ、エコー、生検を受け、1週間後に左乳がんという診断を受ける。告げられた時は、頭の中が真っ白になり、主治医の勧めた通り、手術を2週間後に受けることになった。セカンドオピニオンを受けるなどの気持ちの余裕はなかった。
2004年3月に、左乳房温存手術+腋窩リンパ節郭清を行った。腫瘍は、しこりとして触れたもの以外に腋窩に近い部分にもう一つあり、大きい方が1.8センチで温存が可能という説明だった。非浸潤がんだと思っていたので、手術で終わりだと思っていたが、病理検査の結果は浸潤がんで、それから放射線療法と、5年間ホルモン療法をしなくてはならないということに、新たなショックを受けた。特にホルモン療法を行うことは、結婚や出産について希望が絶たれるような思いがあり、躊躇した。しかし、再発防止を優先させて、治療を受けることにし、術後2週間で仕事に復帰し、放射線療法は仕事をしながら通院して行い、ホルモン療法(ゾラデックス注射、ノルバデックス内服)も開始した。
その後は、ホルモン療法の副作用のせいか、時には落ち込むことはあっても、普段の生活に戻り、楽しく過ごしていた。同時に何か物足りなさを覚えていた。そんなとき、ある人の助言で夢を諦めていたことに気付き、思い立って、術後1年で看護師を辞め、かねてからの夢だったマッサージのサロンを開くことにした。
しかし、術後1年半経った2005年11月、自分で右側にしこりを見つける。検査の結果、左側とは違う種類の新たな乳がんができていることがわかった。これから頑張ろうとしていた矢先に、とてもショックなことだった。幸い、0.8センチという非常に早期の状態だったため、2006年1月に行った手術は腫瘍のみ摘出するという軽い手術で済み、回復も早かった。その後2008年4月には、境界悪性卵巣腫瘍で左卵巣摘出術を受け、現在に至る。
支えとなったのは同病の仲間たち、家族、友人であった。また、ノートに気持ちを書き綴ることは、感情を解放するのに役立った。乳がんになって、人生について改めて考える機会が与えられ、心の底から感謝の気持ちを持てるようになった。これからも、ありのままの自分を大切に、先のわからないことを不安に思うより、今を楽しもうという姿勢で生きていきたいと思う。
2004年3月に、左乳房温存手術+腋窩リンパ節郭清を行った。腫瘍は、しこりとして触れたもの以外に腋窩に近い部分にもう一つあり、大きい方が1.8センチで温存が可能という説明だった。非浸潤がんだと思っていたので、手術で終わりだと思っていたが、病理検査の結果は浸潤がんで、それから放射線療法と、5年間ホルモン療法をしなくてはならないということに、新たなショックを受けた。特にホルモン療法を行うことは、結婚や出産について希望が絶たれるような思いがあり、躊躇した。しかし、再発防止を優先させて、治療を受けることにし、術後2週間で仕事に復帰し、放射線療法は仕事をしながら通院して行い、ホルモン療法(ゾラデックス注射、ノルバデックス内服)も開始した。
その後は、ホルモン療法の副作用のせいか、時には落ち込むことはあっても、普段の生活に戻り、楽しく過ごしていた。同時に何か物足りなさを覚えていた。そんなとき、ある人の助言で夢を諦めていたことに気付き、思い立って、術後1年で看護師を辞め、かねてからの夢だったマッサージのサロンを開くことにした。
しかし、術後1年半経った2005年11月、自分で右側にしこりを見つける。検査の結果、左側とは違う種類の新たな乳がんができていることがわかった。これから頑張ろうとしていた矢先に、とてもショックなことだった。幸い、0.8センチという非常に早期の状態だったため、2006年1月に行った手術は腫瘍のみ摘出するという軽い手術で済み、回復も早かった。その後2008年4月には、境界悪性卵巣腫瘍で左卵巣摘出術を受け、現在に至る。
支えとなったのは同病の仲間たち、家族、友人であった。また、ノートに気持ちを書き綴ることは、感情を解放するのに役立った。乳がんになって、人生について改めて考える機会が与えられ、心の底から感謝の気持ちを持てるようになった。これからも、ありのままの自分を大切に、先のわからないことを不安に思うより、今を楽しもうという姿勢で生きていきたいと思う。
インタビュー36
- あまりにあっさりと告知されたので、びっくりしたが、深刻に切りだされるよりよかったのかもしれない
- 看護師の姉の勧めで、乳腺専門クリニックに行った。患者同志の交流がしやすいのがメリット。手術などは別の病院に行く必要があり、馴染みのないスタッフだと不安になることもある
- 当面は結婚や出産の予定がなく、再発防止を優先してホルモン治療をすることにした
- セカンド・オピニオンを考える余裕がなかったし、自分で選択できるということも頭になかった
- しこりだけとるというのがイメージできず、ぼこっと空くのかと思って、術後1日2日は傷を見ることができなったが、形もボリュームもそんなに変わってなくてよかった
- 乳腺専門クリニックだったので入院患者は皆乳がんで比較的元気な人が多く、一緒にリハビリをしたり、外出許可をもらってコーヒーを飲みに行ったりして、楽しい入院生活だった
- 半日だけ出勤してそのあと放射線治療に通っていたが、生活にはほとんど影響がなく、運動不足解消のためにバドミントンをしていた
- 乳がんの自分を受け入れてくれる彼ができたが、卵巣の病気も見つかり、自分自身は大丈夫だと思っていても、彼にとっては心配しかなく別れることになった
- 乳がんとわかってしばらくは自分も苦しかったし、相手を気遣って、病気のことを言えなかった。1年ほどして伝えたら、友人に水臭いと言われた
- 結婚や出産が難しいかもしれないというショックと、更年期障害が重なり、一時はうつ的になったが、同病者との交流で悩んでいるのは自分一人じゃないと癒された