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診断時:48歳
インタビュー時:50歳(2009年2月)
首都圏在住。2007年3月、両側乳がんと診断され、最初の内視鏡下の手術で両側ともに断端陽性で、再度乳房切除術を受けた。術後は抗がん剤と分子標的薬の治療、ホルモン治療を行っている。今後は自家組織を用いた再建術を希望しており、そのために体重を15kg減量した。 夫と子ども2人の4人暮らし。正社員として勤務。
語りの内容
まあ、その後もかなりトラブル続きだったんですけども、えーと、「まず、先に、その、右側を全摘しましょう」と。「でも、その前にちょっと期間が空くので、抗がん剤を始めましょう」ということになったんですけれども、抗がん剤始めたらば、えっと、白血球がガンと下がって、で、緊急で入院させられたりとかいうことが、まあ、病院が遠かったということもあって、その、心配されたんだと思うんですけども、そういう形であのー、入院したりとか、あと、まあ、近所のクリニックのほうで、抗がん剤も続けてたんですけども、そこでもやっぱり何度か、白血球が下がり過ぎて、近くのところを紹介されて入院という形になりました。で、本人的には、もう全く、その、痛くもかゆくも熱もないし、何ともないんですけど、数値が悪いから、結局、その、危ないからと。あの、後で考えると当然なんですけれども、これはなかなか納得しがたいというか、そういう感じでしたね。
で、えっと、病気自体は、その病理の結果とかを見ても、それほど悪性度高いわけでもないし、命は大丈夫なんだろうなっていう感じはあるんですけども、治療がどうなるんだっていうのが全く見えない状態。しかも、休みを取ったんだけども、いつになったら復職できるんだという計画が立たない、という状態だったんですね。そのときすごく思ったのは、乳がんは特にそうかもしれないですけども、あの、いろんな治療を並行してやったりすると思うんですね。手術はほんのごく一部で、抗がん剤だったり、分子標的剤だったり、いろいろあるんですけれども、そういうものと、その、いわゆる、そういうもののスケジューリングですね。これがなかなか大変なんですよね。特に私のように手術を後でもう一回やらなきゃいけないような場合には、例えば前の手術のせいで、えっと、あの、何というかな、貧血ぎみになってたりすると、手術ができないからって延びてしまう。でも、延びたところで、その、結局、そうすると、そのままずんずん、その、全部スケジュールがディレイしてしまうと、もういつになるか分からない(笑)。で、並行してできるものはないのかということを(笑)、結構思いまして、先生にお願いして、で、右側を全摘した後、もう抗がん剤を終わらせてしまって、えっと、FECを終わらせてしまって、それから、もう一回左のほうの全摘という形をとっていただきました。
インタビュー46
- 会社に初めてマンモグラフィ検診車が来て検診を受けた
- 紹介されたクリニックの提携病院で内視鏡手術を受けた。内視鏡だと傷が小さく、痛みがない点はいいが、時間がかかるので、両側乳がんだと一遍に手術ができなかった
- トラブル続きで治療のスケジュールがどんどん遅れていったので、先が見えない状態だった。疑問や希望を主治医に伝え、スケジューリングを考えていった
- 内視鏡下の手術で、右側は当初の予定より、大きく切除したので、乳房の形を整えるためメッシュを入れた。しかし後にアレルギーで取り出さなければならず、形が崩れてショックだった
- 両側乳がんで内視鏡下の手術を左右別々に受けた。術後病理診断で左右ともに断端陽性であることがわかり、再度、再建を前提に乳房切除術を受けることにした
- 再建方法には、自家組織による再建とインプラントによる再建があり、それぞれに医師の話を聞いた結果、自家組織を使う方法にした。そのために15kgダイエットした
- 肥満は乳房再建術の傷の治りに影響するので、ダイエットを勧められた。運動嫌いだったが、再発予防のためにも必要だったので、食事に気をつけ、ジムに通っている
- 休職中は自分の立ち位置がなくなったと感じ、不安だった。8ヶ月の休職後に復帰したが、休職中の給与や評価、復職後の異動など恵まれていたと思う