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診断時:42歳
インタビュー時:45歳(2008年1月)
東海地方在住。2005年に乳がんと診断され、右乳房切除術とリンパ節郭清術、術後抗がん剤治療、放射線療法を受けた。会社員。治療中、治療後はしばらく休職。夫と大学生の子どもと暮らしていたが、治療中に夫と別居した。
語りの内容
そのときに先生が、「今日、ご家族の方、いる? 来る?」って言うから、うちはもう全く、主人も娘も忙しかったから「いや、何? 家族に話って何?」。もうその時点で。普通の一般的な常識で、何かね、家族の方にお話っていうともう、「先生、それって、いい話? 悪い話?」って言ったら、「あなただったら大丈夫かな」っていうようなことを言われて、「1人? 今日、誰も来ない?」って言うから「うん、多分、来ませんよ」。「臨床(病理診断の)結果で、取りあえず、リンパのほうに転移があったから、今後の治療法をね、考えていこう」っていうふうに言われたときに、またその中で、私の中でパニクっちゃったんですよ。「あれ、取って終わりじゃないの?」っていうふうな感じで問い掛けたら、やっぱ先生は、「これから、乳がんは長い闘いになるから、取るのがまず第1段階。で、それからいろんな治療があるのが第2段階、第3段階ってあるよ、っていうのを、僕、手術の前に話したよね」って言うから、「何かそんなようなことをおっしゃってましたね」って。で、「取りあえず、リンパにね、4ヶ所あって、それを抗がん剤の治療だとか、放射線だとかっていうのをやっていこうね。頑張ろうね」っていう言葉が、言われたんですけど、私は何か他人事のように、「ああ、そうなんだ」って受け止めちゃったんですね。
でも、やっぱ病室で一人になると、いろんなことが駆け巡ってきて、「何で、私が」って。で、その本とかって見ると、体質的にね、太ってらっしゃる方がなりやすいとか、「そういう統計的から見たら、私、外れてるのに何で?」って。でも、何で?何で?って思ってても、もうなっちゃったことだから、ともかくじゃあ、どうしたらいいのか分かんないんだけど、手探りの状態で、先生にお任せするしかないっていう自分の判断で、「先生、じゃあ、抗がん剤なり何なり、何でもやってちょうだい」って。
インタビュー01
- 会社の婦人科検診の機会にマンモグラフィで異常が見つかった
- 医師より病理診断の結果を一人で聞いた。リンパ節に転移があったことや今後の治療について一旦は受け止めたが、一人になると「何で?私が」と思った
- 近くでマンモグラフィのある病院が3つくらいしかなく、その中からなじみのある病院を選んだ
- もう乳房がないということはわかっていたが、術後2日間は胸を見ることができなかった
- 頭髪も睫毛や眉毛も抜けてしまい、人に会いたくなかったが、友人が一緒にバンダナをつけて出かけようと誘ってくれたので、出かけることができた
- 1~2ヶ月で復帰するつもりで乳がんだと上司に伝えたが、術後の病理診断でリンパ節転移がわかったので、復帰を求められてもすぐには無理だということを改めて会社に伝えた
- 当初の予定より長引いて10ヶ月休職したが、復帰後1ヶ月半は半日勤務で徐々に慣らして、所属もストレスの少ない部署に替えてもらえたので、とてもありがたかった
- 夫もどう接したらいいかわからず葛藤していたと思うが、何か声をかけてほしかった。お互いの気持ちがすれ違い、別居することになった