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診断時:45歳
インタビュー時:47歳(2008年1月)
首都圏在住。2006年に乳がん(非浸潤がん)と診断され、左乳房切除術を受けた。現在外来にて経過観察中。夫と2人の子どもがおり、専業主婦。乳がんの治療を受ける前に子宮筋腫を患っていた。
語りの内容
それで、やっぱり1人で聞きに行くのは、それまで何でもなかったんですけども、やっぱり嫌でしたね。それで、両親が心配して来てくれるって言ったもんですから、もうこちらからはとてもそんな頼めないし、心配はかけたくないから、1人でそれでも行かなくちゃなと思っていたんだけど、「来てくれる」と言ってくれたときに、本当正直なところものすごくほっとしました。ただ、本当に、ただ来て、後ろにいるなんですけれども、別に何を話すわけではないんですけれども、それだけですごく楽に、楽になるもんですね、あれは不思議なもんで。
それで、先生に「がんっていう結果が出ました」って言われたときに、言われても、まだ何か人ごとのような感じで、だから、それほどがんになるなんていうことを予想していなかったんですね。もう、しばらくは先生の話を「はあ、はあ」っていう調子で聞いていて。とても優しい先生で、「だけど細胞を見る限りは、そんなに、何ていうか、おとなしいものだと思うから」って言って、安心させてくださるような話だったんですけども、でも、じゃあ、じゃあっていうふうに聞けば、「だけど、不確定」という、さっきも話しましたけど。だから、話しているうちに、どんどんどんどん頭の中が混乱していって分からなくなってきたんですよね。で、分かんなくなると、何ていうか、頭が真っ白になるっていうか、むしろ何も感じなくなるというか、その日は何かボーっとしてましたね。分からなくて。
で、1日、2日経っていくうちに、だんだんだんだん事の状態が分かってきて、それでまじめに考え始めたんですけども、それから、むしろ一緒に行った両親のほうがすぐに反応してました。それで、がんなんだっていうことを理解してました。で、両親も、やっぱりもう高齢なので、いろんな病気をしたりしてますので、がんっていう知識は私よりあったんですよね。それで、「大丈夫、今はがんは大丈夫」って、一番最初に私にそう言ったんです。病院を出たときに。「もうそんなにがんだから死ぬっていう時代じゃなくて、今のがんはかなり大丈夫なのよ」っていうことを言われたのを覚えています。
インタビュー02
- 早期発見のため、乳がん検診を受けることは大切だと思う(音声のみ)
- 細胞診(細い針)のときも針生検(太い針)のときも拍子抜けするほど痛くなかった (音声のみ)
- 2度の細胞診でははっきりとした異常がなく、それでも医師の「超音波で気になる」という言葉に促され、最終的に組織診を受けて非浸潤がんとわかった (音声のみ)
- 心配はかけたくなかったが、診断を聞くとき両親が一緒に来てくれることになり、正直ほっとした。がんと知らされ、混乱して頭が真っ白になった (音声のみ)
- 手術は納得できるところで受けたかったので、いろいろな人の話を参考にした。最後はその医師に会って信頼できそうだという自分の勘を大事にした (音声のみ)
- 生検では非浸潤がんであり、医師は温存を勧めた。いろいろな可能性を考え、温存か全摘か、手術当日の朝まで決められなかった(音声のみ)
- 術式について手術前日まで迷っていたが、主治医に80歳になったときに後悔しない方を選ぶよう言われ、自分の気持ちが整理でき、全摘を決意した(音声のみ)
- ドキドキしながら「温泉デビュー」したが、あっけにとられるくらい誰も関心を示さなかった (音声のみ)
- ワイヤー入りの下着はずれやすいのでワイヤーは抜いてしまった。メーカーの補整下着は合わないので、個人が自作している下着をネットを通じて分けてもらったりしている (音声のみ)
- センチネル生検だけで、リンパ節は取っていないため、腕のほうは問題ないが、乳房切除した胸の違和感は残っている (音声のみ)
- 母がいろんな健康食品を送ってくるので、害がないと思ったものは使っているが、規則正しい生活になることが基本で、健康食品に頼っても無駄だと思う(音声のみ)
- 体力が落ちているので、歩くにしても毎日続けるのは大変。疲れをためないよう、夜更かししないで、最低でも夜5時間は寝るようにしている(音声のみ)
- がんは生と死にかかわる病気だから、伝えると相手も反応に困ってしまうことがわかる。だから、話せないし、話してもつらさを分かってもらうのは難しいと思う (音声のみ)