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診断時:62歳
インタビュー時:65歳(2008年6月)
中国地方在住。2005年に自分でしこりを発見。自宅近くの総合病院に受診し、左乳がんと診断された。術前化学療法を行い、病期が2期から1期になり、乳房温存術+センチネルリンパ節生検を受けた。 夫と2人暮らしの主婦。息子2人は自立して遠方に住んでいる。
語りの内容
で、05年の6月2日に、その医療機関を受診しました。で、「どうして来ましたか?」っていうことだったんですけども。「自分で触って、しこりがあると感じました」っていうことで、もうその日のうちに、エコー、マンモグラフィ、触診、細胞診までされてしまったんですね。で、私がそのときに先生に、先生から、「乳がんですよ」って言われるまでに、私のほうからもう、そういうもろもろの一連の検査が終わりましたもんですから、確信したもんですから、明るく言ったんです。「先生、私、もう立派な乳がんですよね」って言いましたら、先生のほうが、逆に驚いたような様子で、「でも、まだ分からないよ」っていうふうに言われましてね。次の検査を予約をして、その日は帰ったんですけどもね。
で、それから1週間後がもろもろの検査ありました。MRIとかCTとかあって。その日に、実は看護師のほうから、「ボランティア室に行ってみない?」って声掛けられました。で、患者さんたちが、経験者もたくさんいるし、待ち時間、検査と検査の間、待ち時間あるもんですから、「その間、ちょっとのぞいてみたら?」っていうことで声掛けを頂き、ちょっと不安ではありましたけどのぞいてみました。そこには、乳がんを体験された方、おられたり、看護師さんもおられたりして、まあ、いろんな、お話をその場でも伺ったんですね。で、「ああ、こういう会があるんだ」と。で、「乳がんの患者さんも結構いらっしゃるんだ」っていうようなことで、「なった以上は、これから前向きに治療に向かっていかなきゃいけないな」と思いましたね。
それから「2週間後にすべての検査の結果が出るので、家族と一緒に来てください」っていうことでした。もう絶対間違いないと確信しました。でも、先生は「大丈夫?」って逆に先生のほうがね、私を気遣ってくださいましたね。
そのときに、先生から資料を渡されました。「乳がんを宣告されたあなたに」。これを頂いたときに、100%そうだろうというふうに思いましたね。でも、このときの資料は、この日、見れなかったですね、何となく。
インタビュー13
- サラリーマンの妻時代は検診を受けていたが、異常がなく安心していた (音声のみ)
- 診断がつく前に、体験者から話を聞く機会があり、がんになった以上は前向きに治療しようと思ったが、医師から渡された乳がんのパンフレットはすぐには見られなかった(音声のみ)
- 医師がよく説明してくれるが、聞き忘れるときもある。それを看護師が丁寧に補ってくれるので、安心。この病院を選んでよかったと思う(音声のみ)
- 術後は吐き気もなく、翌日には患部の痛みもなく、触れてみると何がしかふくらみも残っていて、ほっとした。その後も順調に快復して術後5日目には退院できた(音声のみ)
- 術前抗がん剤の治療中、しこりが熱くなるような反応を感じることがあった。「小さくなーれ」としこりに話しかけていた(音声のみ)
- 抗がん剤の副作用で雪焼けをしたように皮膚が赤黒くなってしまったので、ファンデーションの色を濃い目に変えた(音声のみ)
- 抗がん剤の副作用でだるくて家事が進まないことがストレスだったが、ある時考え方を変えて、できないことは甘えてしまおうと思ったら、気が楽になった(音声のみ)
- 抗がん剤をして3週間目ではらはらと脱毛が始まった。夫が「あんたはまた生えるじゃん」と和ませてくれ、泣いたり笑ったりしながら過ごした(音声のみ)
- 傷についてはタブーのような気がして話題にしないが、抗がん剤で髪が抜けたときのことや闘病の様子を詠んだ短歌で、夫の自分への思いを知ることができた(音声のみ)
- 息子たちがショックを受けると思い、病気のことは言わず、夫と2人で闘病することにした。抗がん剤治療中に息子が里帰りしたときも明るく振る舞い、気付かれなかった(音声のみ)
- 近親者にも、近所の人たちにも病気のことは言っていなかったので、グラウンドゴルフも都合が悪いと休んでばかりはいられず、術後2週間で復帰した(音声のみ)