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診断時:27歳
インタビュー時:33歳(2008年10月)
九州地方在住。2002年春、右乳がんで、右乳房切除術とリンパ節郭清、同時再建(エキスパンダー挿入)、術後化学療法を受けた。エキスパンダーは、術後アレルギー反応を起こして取り出すことになり、その後、再建はしていない。 当時、離島で授乳中の子どもと夫の3人暮らし。治療中は子どもと2人で九州の実家で過ごした。その後、夫も離島を離れ、現在は家族3人で暮らしている。
語りの内容
先生が、まず、わたしの目を見てくれなくって、で、「結果どうだったんでしょうか」って聞いたら、わたしじゃなくて母のほうを見て、先生が「あの、残念ですが、悪いものでした」ということをおっしゃって、で、「かわいそうだけども、右のおっぱいを全部とることになります」っていう説明を受けたんです。ただ、まあ、そのときにも、ピンとこないっていうのが現実で、最初に先生に言ったせりふが「先生すみません、誰のこと言っているんでしょうか?」って聞き直したら、先生が、「残念ながら、あなたのことですよ」っておっしゃったんです。で、もう、ほんとにピンとこなくて、もう突然のことだったので、ただ、こう漠然と怖いっていうのは最初にあって。やっぱり、がんという響きがものすごく怖いものだったので、何か、今、すごく怖いことを言われたっていうのが感じて。でも、涙は出てこなかったんですね、びっくりしすぎて。で、じわじわとこう何かこう怖いなって感じていたら、わたしの前に母がわあっと泣き出してしまったもんですから、で、もう、どっちが患者さんだろうというぐらい。わたしは、もう、母をずっと慰めて、診察室では。「もう、しかたないよ、しかたないよ」って言って、母の肩をこう叩きながら、慰めたのが、一番最初の告知だったんですけど。
で、そのあとに、母は息子が泣き出したので、診察室の外に出て、初めて、先生もいなくなったので、1人に病室になって。そのときに、すごい恐怖がおそってきて、なんて説明していいか分からないんだけど。その手足がかたかた震えだして、涙はやっぱり出ないんですけども怖くて怖くって、もう手がすごく震えだしたのを覚えています。で、そうしていたら、看護師さんが入ってこられたので、少し、ほっとして。あ、看護師さんがきっと慰めてくれるんだろうと思って、期待して待っていたんですけど。「10日後に手術がもう決まりましたので、今から入院説明を始めます」っていう、「大丈夫ですか?」の一言もなく、ほんとに淡々と説明が始まったので、自分も「はい、はい」って聞いてはいたんですけど、全く頭に入らなくて。で、一通り説明が終わって、で、看護師さんがおっしゃったのが「今は、動揺しているでしょうから、あとで、この紙、読んどいてください」って置いていかれて、そのまま、またいなくなられて。で、「あれー?」って、「慰めてくれるもんじゃないんだな」とそのときすごく感じたのを覚えています。
インタビュー42
- 夫が右胸のピンポン玉のようなしこりに気づいたが、まさか20代で乳がんになるとは思わなかった
- 医師が母親の方を見て告知したので、誰のことかと聞いてしまった。自分はびっくりしすぎてすぐには涙が出ず、母が先に泣いたので慰める方が先になった
- 離島在住だったが、治療のため離島を離れて、実家で世話になった。最終的には夫と話し合い、引っ越すことにした
- セカンド・オピニオンを受けたところ、診断結果は同じだったが、医師の説明が納得できるものだったので、その病院で治療を受けることにした
- 疲れたり、手に怪我をしてばい菌が入ったりすると、腕に赤い斑点が出て熱が出てしまうので、乳腺の医師を受診して抗生剤を処方してもらっている
- 同時再建で生理食塩水の入ったパットを入れたが、術後3日後ぐらいにアレルギー反応が出て、取り出さざるを得なかった
- 頭がちくちく痛くなってきたら、髪の毛が抜けはじめた。抜けた髪の処理が嫌で夫に頼んでバリカンで剃ってもらったら、意外とすっきりした
- 補助療法は抗がん剤のみだったので、その後無治療になるのが怖くて、きのこ系の健康食品を飲んだり、浄水器を購入したりしたが、高いし、おいしくないのでやめてしまった
- 健康食品をやめたが、何もしないのは不安で、遠くまで免疫療法を受けに行った
- 単純に胸が二つあるというだけでうらやましかった。子供に授乳できないことが悲しく、夫婦生活でも夫に申し訳ない気持ちになった
- 退院後早い時期に勇気を出して、夫に傷を見てもらったところ、「よく頑張ったね」と受け入れてくれたことがありがたかった
- 夫は悩みを人に話すタイプでないので、つらかっただろうと思う
- 2,3歳のころは「ワニがお母さんのおっぱいを食べた」と言っていたが、7歳になった今は怖さまではわからないかもしれないが、「乳がん」という言葉は知っている
- たくさんの友達に連絡して情報を得られたのはよかったが、「がん=死」のイメージが強く、幽霊を見るように見られたり、話してない人に伝わっていて複雑な思いをした
- 自分が生きられないと思うと妊娠は考えられなかったが、元気になるともう一人ほしくなった。でも夫は体の心配をして、もう子どもはいいと言う