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診断時:50歳
インタビュー時:63歳(2008年2月)
首都圏在住。1994年12月に両側乳がんと診断され、翌年1月に両側乳房切除術、術後抗がん剤治療を受けた。以後、外来にて経過を観察しながら、現在に至る。夫婦2人暮らし。診断された当時はパートで仕事をしていた。
語りの内容
二女が22、長女が24か、まあそのくらいで、まあ大学生でしたので、もう子どもも大きい。自分も50歳になってた。だから、ここまでもう自分にとって、今、例えばこれからおっぱいが要る人とかではないし、これから子どもを産む人でもないし、子どもも育っているし、自分はまあ親としての役目も終わっているから、ある意味では、(乳がんで乳房切除することも)「怖くないわ」っていう気もあって。でも、ある意味では、あの、娘2人っていうのは遺伝的なものがありますね、乳がんっていうのは。娘にとってお母さんが乳がんになったっていうことは、自分にも乳がんになる危険性がすごくあるわけじゃないですか。だから、それがすごく不安だろうと思いましたので、これであの子たちを不安にさせたり、あの子たちが今まだ20代前半でそんなになっちゃったら、やっぱりかわいそうだし、大変だろうと思うから、私が元気でいて、大丈夫な、もう元気な姿で行くことが子どもたちにとっても、一番だなっていう気持ちがすごくあったんで。それこそ、どなたかのご本で、『乳がん死ゼロの日』って、乳がんでは死にたくないと。乳がんで、私は死なないっていう気持ちがすごく強くて、で、1月9日の手術に挑みましたね。
インタビュー03
- 過去の経験から病院・医師選びに慎重だったが、先生の目や表情という第一印象でピンときた
- 両側の乳房切除手術だったので7時間くらいかかったようだが、翌日には歩いて集中治療室から自分の病室まで戻った。術後感染による合併症で1ヶ月入院した
- 病院で下着メーカーの乳がん患者のための相談室を紹介されて訪ねていったところ、値段も手ごろで自分に合ったものを作ってもらえて、ありがたかった
- 術後しばらくは縫った後の傷がジュクジュクしたり、胸に鉄板を巻きつけたような感触が残ったりした
- 初めは腕が上がらず、むくみも出ていたが、腕が壁伝いに1センチずつ上がるようになって、半年くらいでよくなっていった
- 胸がないからといって「女じゃなくなった」とは思わなかったし、再建したら検査もしにくいだろうと思った
- 以前からとても信頼していた皮膚科の医師に、患者の尿の成分を転写して作るという「情報水」を勧められたので1年半ほど飲んだが、効いたかどうかはわからない
- 子宮筋腫と乳がんで子宮と胸を取ったとき「女だって言うものが何もないじゃない」と言われたことがあったが、子どもも産んだし、「ないから何なの?」と思った
- 発症当時大学生だった娘たちは、女性としてこれから乳がんになる可能性もあるので、自分がここで元気にならなければ不安を与えると思い、がんばって治療に臨んだ