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診断時:42歳
インタビュー時:47歳(2008年2月)
近畿地方在住。2003年、乳がんと診断され、右乳房切除術、同時再建術、術後抗がん剤治療、放射線療法、ホルモン療法を受けた。2004年、肝転移。ハーセプチンとタキソールにて治療。その後、動注化学療法、ラジオ波焼灼(しょうしゃく)療法を受けた。現在も治療中。1人暮らし。フルタイムで仕事を続けている。
語りの内容
最初は多分すごく驚いて、オロオロしたかったんでしょうけど、私、時間あるときっとおろついちゃうなと思って、あれやこれや、相談というよりは「もう決めたから」っていうふうに言って、治療がある程度終わってから、何か「ご飯食べられなかった」みたいなのをぼそっと言ってたんですけど。ちょっとかわいそうだなと思ったんですけど、まあ、そっちをいたわってる暇がこちらになかったので。でも、一つ、そのときに、例えば「私が乳がんになりました」って、母親が非常にそれを心配だったんだけれども、まあ、私にどうこうっていうことも言えないですよね。「大丈夫? 頑張りなさい」ぐらいしかきっと言えないと思うし、私が離れて住んでるし。で、彼女、うちの母自身が、それを多分、自分自身の娘がそうなったことに対しての不安っていうのを、言いに行くところがなかったみたいで、漢方薬屋さんに行ったらしいんですよ。で、非常に親切だったと。で、「『これが効くのよ』って言われて買ってきたの」って、1袋3万円ぐらいするよく分からないキノコの粉を10万円分売りつけられてきたときには、何か「何を買ったの?」っていう思いと、「ちょっと買って来ちゃったもんはしょうがないんだけど、何で買ってきちゃったの?」っていうのを聞いたら、「すごい丁寧に話を聞いてくれて、いろいろ教えてくれたの」って。その内容・精度の問題じゃなかったんですね。きっと、彼女はそういう自分自身が、娘が病気になったことに対しての精神的な不安とかを、何か誰かに言いたかったんだけど、自分自身が病気じゃないから病院にかかるわけにもいかないし、患者のケアはできても患者の家族のケアっていうの、今、ないですよね。どこにも。制度的にもないし、行く先も、例えば、心療内科とかをパッと行ければいいんだけど、そういう年代でもないし、そういう土地柄でもないし。だから、そういうところに行って「話を聞いてくれたから」って、10万円もするもの買ってきちゃって、「待って」って思って、それはちょっとびっくりしたんですけども、かわいそうだったなって。
だから、できるだけその後は、自分自身も落ち着いたので、話をするようにはしたんですけど。「意外に落とし穴だった、そこ」と思って。後からすごく反省しました。相談って、私自身の相談じゃなくって、もっとコミュニケーションを取って、「私が安心だから、あなたも安心」っていうふうに親に納得させてあげればよかったと。
インタビュー07
- 初めて会ったのに、診察時にとても親身になって言葉をかけてくれたので、この医師にその後の治療をお願いしたいと思った
- 命も治療も大事だけど、それにはお金が要るので、働きながら治療したいと医師に伝えた
- 同時再建を希望してエキスパンダーを入れたが、放射線治療が必要となり、皮膚に炎症が起きて、コヒーシブ(※)に入れ替えることができなくなった
- いろいろなウィッグを購入し、楽しんだ。治療途中でボヤボヤした髪の毛が生えてきたが、ウィッグも地毛もカットは行きつけの美容院でお願いした
- 放射線治療が終わって1ヶ月くらいしたときに、風邪をひいたような、肺が痛いような気がしてレントゲンを撮ったところ、軽い肺臓炎(※)と言われた
- ホルモン療法中は空気を吸っても太るかと思うくらいどんどん太ってきて、ホットフラッシュ(火照り)やイライラもあってしんどかった
- キノコ系の健康食品を飲んでいた時期があったが、再発したのでやめてしまった
- 診察室がいつもと違う雰囲気を感じた。逃げ延びたと思ったら捕まっちゃったというような嫌な気持ちだったが、同時に今後のことを考え始めていた
- 肝転移に対して、抗がん剤と分子標的薬の治療で一度小さくなったが、リバウンドしたため、自ら希望して動注化学療法とラジオ波治療を受けた
- 外食が多いので食べものに気をつけるより、ハーブティーを飲んだり、お風呂にゆっくり入ったり、音楽を聴いたり、猫をなでて話しかけたり、ゆったりすることを心がけている
- 検診の予約を取った時点で、上司にがんの可能性があることを伝え、その後の経過も包み隠さず伝えたことで、移動の少ないポジションを与えてもらえた
- 再発の抗がん剤治療は、仕事を休まないでできるよう、平日夜間にもやっている隣県のサテライトのクリニックに通った
- 健康保険から出る休職手当(傷病手当)が3ヶ月で切れてしまうので、抗がん剤治療と放射線照射を並行して受け、抗がん剤治療がまだ1回残っている状態で復職した
- HER2陽性だったので、再発に際してハーセプチンが使えることはわかっていたが、非常に高額なので、医師にまず費用のことを相談した
- パートナーに乳がんであること、手術痕のこと、すべて事実を伝えたが、それは気にしないと言われて、怖がっていた自分にはじめて自信ができた
- 実家の母親が、1人で療養している自分を心配して高い漢方薬を送ってくれた。母親自身が不安で誰かに話を聞いてもらいたかったのではないかと母親の心配を思った
- 友人たちがとてもいたわって力になろうとしてくれるのはありがたいが、そんなに心配しないで、と思ってしまうこともある(テキストのみ)