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診断時:39歳
インタビュー時:40歳(2008年6月)
九州地方在住。2007年9月、産後、乳房マッサージに来てくれた保健師がしこりに気づき、右乳がんが見つかる。乳房温存術+センチネルリンパ節生検、抗がん剤治療を行い、現在、放射線治療を終えたところである。夫と子ども3人の5人家族で、仕事はフルタイムで事務職をしていたが、産休中に発病。今後、復帰予定である。
語りの内容
やっぱり、脱毛しててかつらを被っているので、白血球がすごく下がってたので、病気ももらえない。で、マスクをして、ちょっとそこまでもやっぱりマスクをして、主人と一緒っていう状態で、やっぱ近所の人から「どんなふうに見られてるんだろう?」っていうのもあって。子ども会の役員さんとかもしてたんだけど、やっぱりもう、「ちょっと出れないから」っていうことで、「『あの人出れない、出て来れないわよね…』みたいにきっと思われてるんだろうな」っていうのもあって。子どものお付き合いっていうのもありますよね。やっぱり地域の人ともあるし。なんかそんなのも一切出なく、出てた人がいっさい出なくなったから、噂が噂を呼んでじゃないけど、やっぱりそんなところも耳から入ってきたりして。信頼できる人にはやはり1人2人には言ってたんですよね。助けてもらわないといけないからですね。で、なんかこう…「どうしたの?」って聞かれるとか言って…、その人からも言われたりして。もう本当に言ってしまいたいって気持ちがすごくあったんですよ。「私はもう乳がんなの、大変なのって。だから協力して!」って。
でも、それを言ってしまったら、「子どもがなんて言われるかな」っていうのがすごく私、頭にあって、子どもには「言わないで」って。「お母さんは自分の病気のことは自分で言うから、聞かれても、お母さんは具合が悪いから、って言ってて」って。「体調が悪い、って言ってて」って、言ったんですね。で、一応、なんとなくその出産後だったので、産後で具合が悪いっていう感じにしてもらってたんだけど、子どももいろいろ聞かれてたみたいだし。で、ねえ。やっぱりその、お母さんたちが話しているのをその子どもたちが聞いたら、子どもたちからそのうちの子に、やっぱり、子どもって悪気がないから、全然、やっぱりこう「お前のお母さん病気なんやろ、がんなんやろ」って、学校で言われたりする気持ちってどうなんだろうと思って。ある程度大きい子だったらそんな…こともないんだろうけど、微妙なお年頃だから、そのとき逆にね、傷つけてしまうのかなあと思うと言えないところもあって。なんか言わないほうがいいよっていう、こう、がんの体験者の人もいて。だから本当にまるっきり隠してるって人もいるし、言わないっていう人もいるし、自分には何が合ってるんだろうって、それもすごく悩んでて。何となくいろいろ悩んでいると外にも足が向かないし、なんか家にいましたね。
インタビュー17
- マンモグラフィ検査を受けていたが、検診では発見されなかった
- 授乳中のマンモグラフィは、痛くて母乳が台に落ちてつらかった
- まさか私が、授乳期でおっぱいが詰まっているだけと思っていたのに、がんだと言われ、他人事に思えた。そして、涙があふれて止まらなかった
- 診断当初は心の余裕がなかったが、術後の病理検査についてセカンド・オピニオンを得られたので、納得して前に進めた
- 自分の気持ちの整理ができて、受け止められるタイミングでセカンド・オピニオンを得られたのでよかった
- たまたま入っていたがん保険で一時金が出て治療ができたが、今後のことを考えると通院特約を付けておけばよかったと思う
- 女性として終りなんだという気持ちと彼と繋がっていたいという気持ちの間で揺れ動いたが、彼は女性として求めてくれたので、すごく嬉しかった
- 病気のことを伝えると、小学生の子はぽろぽろと涙を流して静かに泣いた。中学生の子は「死んじゃうの?」と聞いてきたので、「死なないように頑張るから」と答えた
- どうしても言わなくてはならない1-2人にだけ言ってあとは病気のことは隠していた。子どもが周りに何か言われるとかわいそうだと思っていた