診断時:40歳
インタビュー時:43歳(2008年9月)
首都圏在住。2005年秋、右乳がんと診断。右乳房温存術とセンチネルリンパ節生検、術後放射線療法、化学療法を受けた。現在、ホルモン療法中。2006年秋には子宮頸がんで手術。 夫と二人暮らし。診断時、大学院生。現在は大学院修了後、研究職を続けている。
語りの内容
現在も、リュープリンを打っていますけど、大体、1回打つと3万ぐらいかかるので、それもやっぱり医療費として結構大変ですけれど、生きていくためには仕方がないんだよねって、よく、周りの人とは話をしているんですけど。やはり、新しい薬が出たら、新しい薬を使いたいっていう気持ちもあるじゃないですか。で、認可が下りていない薬は、使いたいと思っても、輸入してすごくお金がかかって取り寄せても、それを打ってくれる先生を探すことも大変だし。その中で亡くなっていった友人がいるんですね。だから、やっぱり、そういうことを考えると、乳腺の場合は、比較的、治療法とか、薬も多いので、あの、何ていうんでしょう。お金はとてもかかりますけれども、大変だけれど、命をつないでいくためには、何とかしなければいけないんだなということをちょっと感じています。
だから、できれば、もう少し――確かにがんの患者さん、非常に多いんですけれども、(また)予防に対して、すごく国が力を入れてくれているのも分かっているんですけれど――(がんに)なってしまった患者さんには、手を、何か、差し伸べてはくれないんだろうかということは、わたしの中で――ちょっと何ていうんでしょう――憤りというか、わだかまりっていうか、あるんですけれど。何か、やっぱり、わたしたちの年代の人ががんになるっていうことは、自分たちの、家族を犠牲にする部分っていうのはあると思うんですね、その、経済的に。そういう部分を考えると、何らかの方法があればなということは感じるし、まあ、わたしの場合は、幸い、夫と2人なので、そういう点では、何とかやっていけますけれども。本当にお金がかかると思うので、通院するにもお金がかかるし、薬代がすごくかかるので。
抗がん剤もね、値段もしますから。特にあの、抗体療法と言って、乳がんの場合ハーセプチンをしている人は、とても高額で、大変だっていうお話を聞くので、やはり、できれば、ほんとに経済的な何か、国のね、支援なんかができてくると、基金でもいいから作ってくれると、とても、うれしいなということは感じます。
インタビュー38
- 乳房温存後、水がたまるくらいのくぼみができたが、この病気があったから今の自分がいると言うことを忘れないために、あえて再建はしないことにした(テキストのみ)
- 抗がん剤の点滴が終わってまもなく吐き気が襲ってきたが、吐き気止めを飲むと楽になった。同病の仲間に聞いたキリンレモンでげっぷを出すとすっきりした(テキストのみ)
- 一回目の抗がん剤治療で、白血球が減り、感染症を起こしてしまった。その原因は抜歯予定の親知らずだった(テキストのみ)
- 抗がん剤で髪が抜けるときは頭皮に痛みがあった。処理が嫌だったので、髪の毛は剃ってしまい、かつらは被らず、帽子で過ごした(テキストのみ)
- 持病があったので入院して放射線療法を受けた。持病の影響で肌がただれやすくとても痛かったが、ステロイドの塗り薬で治療をやりとおすことができた(テキストのみ)
- 神社仏閣巡りとかゲームとか、自分が好きなことをするのが大事だと思う。大きな幸せを一つ見つけるより、小さな幸せを100個見つけるほうが好き(テキストのみ)
- リュープリンが1回3万円くらいと、がんは薬代が高いので、経済的に家族を犠牲にする部分がある。国は予防だけでなく患者の支援にも力を入れてほしい(テキストのみ)