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診断時:37歳
インタビュー時:41歳(2008年9月)
離島在住。2004年3月、左乳がんを診断され、左乳房温存術+腋窩リンパ節郭清術、放射線療法を受け、ホルモン療法を開始。2006年1月、右乳がんの診断で右乳房温存術を受けた。2008年春には、境界悪性卵巣腫瘍で左卵巣摘出術を受けた。当時は母親と姉弟の4人暮らしで看護師をしていた。現在は、マッサージサロンを開き、1人暮らし。
語りの内容
1回目の手術からすると、ちょうど4年半が経ちますね。その間は、やっぱり不安とか、すごくありましたね。私はまだ結婚もしてませんし、まあ、結婚できるのかな?とか、子供生めるのかな?とか、そういった心配もあるし、やっぱりこう、病気をしてしまった自分に負い目があるので、なかなかこう、恋愛に関しても一歩踏み出せなかったりとか。そういったのがやっぱりあったりするんですけど。そういう不安とかいろんな悩みとかは、やっぱり同じ病気をした人たちとこう、交流する中で、すごく気持ちが、こう共有することで、私自身も癒やされるし、情報交換したりとかそういうことによって、「ああ、自分だけじゃないんだな」っていうふうに思えるようになりましたね。
あと、生理を止めるという、ホルモン療法。しかも5年間、生理を止めるっていうことを聞いたときに、その当時、私は37だったので、まあ、例えば結婚して、子供を生む、何か微妙な年齢だったんですよ。だから、「5年間っていうことは、終わったら42歳。そうしたら、私はもう結婚もできないし、子供も生めないのか」っていう思いがすごくあったんです。それはすごくやっぱ大きかったかなって思いますね。
で、「生理を止めるので、閉経と同じ状況になるから、まあ、更年期障害が出たりとか、ちょっとこう、気持ちが沈んだりとかね、そういった副作用もあるよ」っていうふうに聞いたので、またその辺は、そういった更年期障害の副作用なのか、そういう何かそういうショックがあったのか。確かにちょっと、こう気持ちがかなり沈み込んだ時期はありましたね。「ああ、ちょっと、私、うつっぽいな」っていう感じ。それはもう時期を過ぎたら、普通に戻りましたけど。
何て言うんですかね。こう生理が止まったときのショックって、やっぱありましたね(笑)。「あ、本当に止まったんだ」っていう感じだった。で、そのうち、それが何か慣れてくると、何かもうないのが普通の状態みたいって落ち着きましたけどね(笑)、うん。
インタビュー36
- あまりにあっさりと告知されたので、びっくりしたが、深刻に切りだされるよりよかったのかもしれない
- 看護師の姉の勧めで、乳腺専門クリニックに行った。患者同志の交流がしやすいのがメリット。手術などは別の病院に行く必要があり、馴染みのないスタッフだと不安になることもある
- 当面は結婚や出産の予定がなく、再発防止を優先してホルモン治療をすることにした
- セカンド・オピニオンを考える余裕がなかったし、自分で選択できるということも頭になかった
- しこりだけとるというのがイメージできず、ぼこっと空くのかと思って、術後1日2日は傷を見ることができなったが、形もボリュームもそんなに変わってなくてよかった
- 乳腺専門クリニックだったので入院患者は皆乳がんで比較的元気な人が多く、一緒にリハビリをしたり、外出許可をもらってコーヒーを飲みに行ったりして、楽しい入院生活だった
- 半日だけ出勤してそのあと放射線治療に通っていたが、生活にはほとんど影響がなく、運動不足解消のためにバドミントンをしていた
- 乳がんの自分を受け入れてくれる彼ができたが、卵巣の病気も見つかり、自分自身は大丈夫だと思っていても、彼にとっては心配しかなく別れることになった
- 乳がんとわかってしばらくは自分も苦しかったし、相手を気遣って、病気のことを言えなかった。1年ほどして伝えたら、友人に水臭いと言われた
- 結婚や出産が難しいかもしれないというショックと、更年期障害が重なり、一時はうつ的になったが、同病者との交流で悩んでいるのは自分一人じゃないと癒された