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診断時:36歳
インタビュー時:47歳(2008年8月)
首都圏で夫と子ども2人の4人暮らし。1996年夏、妊娠8ヶ月で右乳がんと診断される。妊娠37週になるのを待って、帝王切開と右乳房切除術+リンパ節郭清を同時に行った。その後、化学療法、ホルモン療法を行う。術後11年目2007年夏に胸骨と卵巣に転移。胸骨への放射線療法、両側卵巣切除術+大網切除を行い、現在は抗がん剤治療中。
語りの内容
病気を見つけたのは、12年前の7月になります。妊娠8ヶ月まで会社に勤めてまして、妊娠8ヶ月になったんで会社を辞めて、実家のほうで子どもを産もうと思ってましたので、実家のほうの産婦人科もある総合病院に通院していました。で、実家に行ったときに自分でしこりを見つけたんです。それで、見つけて、もう翌日がそのおなか(の子)が8ヶ月の定期検診でしたから、そのときに、産婦人科の先生に診ていただいて、検査をして乳がんだということが分かりました。
で、治療が始まったんですが、おなかの子がもう8ヶ月でしたので、おなかの子が37週になって、「赤ちゃんが大きくなるまで待ちましょう」ということで、37週のときに、帝王切開と、それから右乳房の切除を同時に行いました。全身麻酔で、ですね、最初に帝王切開で赤ちゃんを取り出して、まあ無事に元気な男の子、生まれまして、で、その直後に、待機してた外科の先生が今度右乳房の切除の手術をしました。
で、手術をしたのが12年前の8月になります。で、12年前の8月に手術終わりまして、それから帝王切開も同時にしてましたので、胸とおなかの傷が多少癒えるまでということで少し時間をおきまして、で、傷が少し治ってから、今度抗がん剤のほうの治療に入りました。
で、抗がん剤の治療は、シスプラチンという白金系の抗がん剤を3クールやりました。副作用としては、吐き気がひどかったですね。吐き気以外は脱毛がありました。脱毛は激しくって、こう束になってゴソッと抜ける感じだったんで、やっぱ精神的にもショックは大きかったですね。
で、ですが、最初のうちの、入院が最初の1ヶ月は帝王切開の入院だったものですから、産婦人科病棟で入院してたんですね。で、そこの個室におりまして、ほかのお母さんたちが授乳の時間になるとおっぱいをあげるんですね。なんですけど、私はもういろんな手術後の点滴ですとか、薬ですとかが入ってしまっているので、母乳があげられなかったんですね。で、授乳の時間はだから粉ミルクを、帝王切開で産んだ次男にあげるんですけれども、よそのお母さんがおっぱいあげているのを見ては、「ああ、私もおっぱいをあげたかったなあ」とか思いましたね。
インタビュー26
- 妊娠中に硬く嫌な感じのしこりを見つけ、直観的にがんだと思って一晩泣き明かした
- 温泉に入るときは乳房切除後の傷を隠せるような肌色の生地でできた専用のカバーをつけている
- 骨転移に対し自宅に近いがんセンターでの放射線照射を希望したものの、とても混んでいたので、遠方の大学病院まで通うことになったが、毎日遠足気分で楽しく通院できた
- 手術して11年目、しくしくと胸の上のほうの骨に痛みを感じたが、転移だと認めたくなくて、なかなか受診できなかった。PETで胸骨と卵巣に転移が見つかった
- 卵巣転移があり、腹水が貯まっていて、どこまで切除するかはお腹を開けてみないとわからないと言われた
- がんになるとお金がかかるということを、初発のときにはそれほど感じなかったが、再発後は月に8万円くらいかかっていて、将来の子供の学費が心配になる
- 現在、再発治療で毎週病院に行っているが、小学生高学年と中学生の子どもたちにまだ病気のことは詳しく話してあげたことはない
- 子ども関係で役員をしていたので、迷惑をかけるかもしれない人たちには病気のことを伝えた。どこまで話すかは難しい問題だと思う
- 12年前、乳がんになって友達に話したら、泣かれてしまった。親しい友人とかショックを受けると思うと、打ち明けるのはかわいそうかなと思ってしまう
- 乳がんがわかったのは妊娠8ヶ月のときで、37週まで待って帝王切開で出産後、同日、乳房切除術を受けた。その後、抗がん剤治療を受けた