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診断時:46歳
インタビュー時:49歳(2008年6月)
九州地方在住。2004年、右乳がんと診断され、術前化学療法、乳房切除術+リンパ節郭清、術後別の抗がん剤による化学療法を行った。現在、ホルモン療法中。 自分の両親と夫、小学生の子ども2人の6人家族。仕事は団体職員としてフルタイムで続けている。
語りの内容
「お風呂に入っていいですよ」って言われたときに、お風呂場に大きな鏡があって、それに映る自分の姿を見るのが嫌でしたね。やっぱりまともに見れませんでした。嫌だなと思って。それがやっぱり辛かったですね。胸がなくなってるっていうのもあるし、なんかその傷口っていうのがやっぱり。なんか私もう人間じゃないみたいじゃないですけど、そんなふうに思ったりして、しばらくはまともに見れなくて、鏡に映らないように、お腹から上が映るぐらいの鏡があったので、なるべく映らないように、こうちょっと屈んでみたりですね。でもこうやってすれば(立てば)自分で見えるから、見たくないけど見えてしまうので、それは仕方ないんですけど、鏡に映る姿っていうのは、やっぱり嫌ですね。今でも嫌ですね。もう今では傷口見たりとかっていうのは、何ともないっていうか、もう私はこうだからっていうふうには思ってるんですけども、やっぱり鏡に映ったりするのは嫌ですね。
治療の途中でもいろんな体に変化っていうのがあって、爪の色が変わったりとかっていうのがあるんですね。今、もう忘れちゃいましたけど、黒くなってたのかな、爪とかが。やっぱり友だちが、「あー、爪の色も違ってるよね」とかっても言うし、手術前はもう頭も坊主になってるし、そういう段階のときに、「あー、私、なんか人造人間みたい」っていうふうに思ったことがありましたね。「なんか人間じゃないみたいだし」って。「髪の毛はないし、爪はこんなだし。なんかちょっと人間から外れたのかな」とかですね、ちょっと落ち込んだときはそんなことを思うこともありました。
インタビュー18
- 年老いた両親に心配かけたくなかったし、がんという宣告を下されるのが怖かった(音声のみ)
- 乳房切除後、初めは風呂場の鏡に映る自分の姿をまともに見られなかった (音声のみ)
- 抗がん剤で髪が抜け、かつらで仕事に行っていた。同じ課の人たちにはかつらや病気のことを話していたが、周囲は気を遣ったり、心配したりしているだろうと思った(音声のみ)
- 髪が生えてきたときは嬉しかった。術前と術後に抗がん剤治療をしたので、1年半くらいかつらを使っていて、外すタイミングに迷った(音声のみ)
- 「からだにいいらしいから」と知人がくれたノニという健康食品を、その気持ちがありがたいので飲んでいるが、一番の基本は医師が出す薬だと思っている(音声のみ)
- 何を食べると乳がんになりやすいといった話も聞かないし、ストレスが一番いけないと言われるが、何がストレスになるのかわからないので、予防は難しいと思う(音声のみ)
- 治療開始が決まった段階で上司に話をし、仕事をしながら術前抗がん剤治療を受けた。休職期間に入るまでに間があったので引き継ぎがうまくいった(音声のみ)
- 乳房切除後、今でも鏡で自分の傷を見るのは嫌で、治療でいろいろなからだの変化が生じた自分を人間じゃないみたいだ、人造人間になったみたいだと思ったこともあった(音声のみ)
- 同居していたにもかかわらず、両親が悲しむことを思うと、病気のことをいつ言おうかと思い悩んだ(音声のみ)
- 主治医に説明を聞きに行くとき、夫が酒臭い状態で、先生に悪いなと思ったが、後で考えるとお酒で気を紛らわしていたのかもしれない(音声のみ)
- 手術を機会に下の子と入浴しなくなったが、もう少しスキンシップしたかった。小学生高学年の上の子には「乳がん」と言ったが、重大なこととは思っていなかったようだ(音声のみ)