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診断時:39歳
インタビュー時:46歳(2008年10月)
北海道在住。2001年秋、左乳がんと診断され、左乳房切除術とリンパ節郭清術を受け、術後は放射線療法、化学療法、ホルモン療法を行った。術後5年ほどして、左腕がリンパ浮腫となり、現在は病院でリンパマッサージを受けている。夫の両親、夫と子ども2人の6人暮らし。パート勤務で、治療のため退職し、4年後から事務系のパートを再開した。
語りの内容
〈主人に)「私の手術した跡、見るかい?」って言ったことあったんですよね。したら、「見たくない」ってすっごい拒否してたんですよね。まあ、それはそれでいいんですけども。「あ、そっか。でも、私のつらさを分かってもらうために、うん、ちょっと話聞いてほしい」って言っても、「いや、聞きたくない。見たくない」って、何か胸を取られたことが、すっごい主人がショックだったんですよね、私以上に。そして、皮膚移植してる太もものところも、傷口がサラミみたいな状態だったんです。赤くて。それに塗り薬をやって、自分で、一人でガーゼを取り替えるんですが、それをやっぱり家族に見られたくなくて、一人で隠れてやってました。
ただ、あるときに、何かふっと主人のほうでね、「おまえの手術の跡、見てみたい」って言われたときあって、まあ、一度、見せたんですよね。そうしたら、何か、主人の思いも何か吹っ切れたんでしょうかね。うん、何か、それまで何らかの2人の間にいろいろな思いはあったんですけども、それをきっかけに、心底また何か話、お互いに気持ちを話できるような状態。その傷口を、私のこのあんまり見られたくない体を見てもらったことによって、お互いの、何ていうの、心の底から。それをきっかけに、娘の前でも、上半身(気にせずに洋服を)取り替えるような。それを主人に見られたことによって、それがきっかけで、また家族の前で自分の傷口をさらけ出すことに、抵抗がなくなった。それまでは、ずっと2年間くらい隠し続けて、見られないように、見られないようにっていう状態だったんですけど。「これが私の体だよ」っていって、「肋骨も出てるし。こんな状態だよ」って。でも、それによって、みんなでまた、乳がんに対してでも、いろんな話を心底できるようになったっていう感じです。
インタビュー40
- 腫瘍が8センチと大きいため乳房切除することになったが、術後に「筋肉は温存できた」と言われ、筋肉も取る予定だったことを後から知った (音声のみ)
- 5年間は時計もつけずに腕を締め付けないよう気をつけていたが、ブレスレット型の健康器具をつけたのがきっかけで、リンパ浮腫を発症したと思う (音声のみ)
- 字を書いたり、手を振って歩いたりするだけでも腕がむくんだり、重く感じるようになったりする (音声のみ)
- リンパ浮腫になり、形成外科で包帯の巻き方を教わって自分で巻いていたが、年々腕が太くなってきたので、今は資格を持つ看護師にリンパマッサージを受けている (音声のみ)
- 大きく乳房を切除した断面にがんがあり、リンパ節転移が8個あったので、放射線治療もすることになったが、副作用は軽くて済んだ (音声のみ)
- 本人以上にショックで傷を見たくないと言った夫が、あるとき「傷を見たい」と言ったので、「これが私の体だよ」と見せた。それから病気のことも心底話せるようになった(音声のみ)
- 手術後2年ほど経ってから、小学校低学年の息子と一緒にお風呂に入ったが、背中を向けて息子が傷から目をそらせていたので、子どもながらに気を遣っていると思った(音声のみ)
- 娘が友だちに「がんならお母さん終わってるね」と言われ、つらい思いをさせた。息子は今、中1で「プロサッカー選手になるまで頑張って」と言ってくれている(音声のみ)
- 周りの人たちに乳がんのことを隠してもしょうがないと思っているが、義父母が周りの目を気にするので、親戚や近所には話していない(テキストのみ)