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診断時:22歳
インタビュー時:25歳(2008年10月)
東海地方在住。悪性黒色腫(メラノーマ)を患った経験あり。2006年冬、自分でしこりを発見し、受診。右乳がんを診断され、右乳房切除術+腋窩リンパ節郭清、術後抗がん剤治療を受けた。 両親と3人暮らし。専門学校卒業後は飲食店で接客業のアルバイトをしていた。
語りの内容
入院中は病院という閉ざされた社会、非現実的な社会にいるので、周りはがん患者さんか、がんの疑いがある人が入院していて、抗がん剤治療もしていて、乳房ない人もたくさんいて、自分ががんであることも普通のことだし、乳房がないことも、なんか普通のこと、隣のベッドの人もないし、隣の部屋の人もないし、乳房がない私も別に普通かなあみたいな感じで、何だかすべてが普通の感覚になっていたので、前向きに絶対乳がんには負けないっていう、私も頑張って闘って勝たなきゃみたいな感じで結構前向きに考えていたんですけれど、退院して自宅に戻ってみて、23歳っていう年齢はやっぱり世の中では、ちょうど就職して、1年目、2年目っていう感じで、結構仕事に一生懸命だったりとか、あとは自分で稼いだお金で学生のときとは違うので、もっと遊び、いろんな遊びをして、いっぱいおしゃれもして…。
元気な年齢層なので、やっぱそういうところに戻ったときに、「私、乳がんなの」っていう環境じゃないなって。周りも胸が片胸ないっていう人もいなかったり、がん患者さんだっていう人もいなくて、すごくもう友達との、接触もすごくつらかったし、やっぱテレビとか付けて、同年代の女優さんとか、俳優さんとかの姿を見るとすごくつらくなってしまったりとかして、退院してから、ほとんどの時間はもうつらい、生きていくのにすごくつらくて、ああ、こんな状態になってまでして、私はもう生きたくないとか、すごくもうどんどんどんどん悪い方向に考えて、暗く落ち込んで自分の殻に閉じこもることが多かったです。
ちょうど春、冬から春にかけてだったので、服装ももう胸を隠すダボッとしたもうトレーナー類みたいな感じで、もう常に、胸を隠す、隠して、外に出るみたいな感じで、そうするとそこまでして外に出ても街中歩いたときに、こう同年代の子のファッションとか見ると、もうつらくなって、もう外にも出たくないみたいな感じで、もう外出も、病院通院以外はしなくなっていました。
インタビュー41
- 自己検診のやりかたをバイト先で教わり、偶然しこりを発見した
- 説明された抗がん剤治療の内容はガイドラインと同じだったので、迷いなくやることに決めた
- 腕が重だるくなってきたときは心臓より高くするようにして、バッグも手で持たないですむように、ショルダーバッグにしている
- 抗がん剤治療で爪が黒く変色し、物が当たると激痛があり、出血したり剥がれたりしてしまうので、ガーゼで爪を保護していた
- タキソテール2クール目から手足がしびれてきて、物を落としたり、こんにゃくの上を歩いているような感じがしたりして、点字ブロックに足を取られて転んだこともあった
- 抗がん剤のあと、ハーセプチンだけの点滴になり1年間の予定で治療をはじめた。アレルギー症状で発熱や頭痛が続いたが、1年間続けることができた
- 髪の毛が抜けたあと、毛糸の帽子だとチクチクして痛かったり、バンダナも結び目があたったりしてよくなかった。病院で買った綿素材で、縫い目の少ない帽子がよかった
- 医療職に就きたいと思って資格もとったが、面接を受けに行って病名を伝えると、断られることが多い
- 退院後、おしゃれをしている同世代の友人と会ったり、テレビで女優を見ると、自分との差を感じて、生きているのが辛く、自分の殻に閉じこもっていた
- 乳がんとわかり、彼氏に別れを告げられた。これから自分の病気をちゃんと受け入れてくれる人が現れるのか不安になる
- 手術したらもう治ったと思われて、わかってもらえず辛かった。「乳がんに気を付けてね」と言っても、友だちも20代で若いので自分のこととして捉えてくれないのが悲しい
- 将来は結婚して子どもを産みたいと思っているが、妊娠・出産については治療の影響があるかもしれないと心配している