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診断時:48歳
インタビュー時:58歳(2008年12月)
近畿地方在住。1998年冬、右乳がんで胸筋温存乳房切除術と腋窩リンパ節郭清術を受けた。術後5年間、抗がん剤治療とホルモン療法(内服)を受けた。術後半年ほどして、右腕の腫れに気づき、現在はリンパ浮腫に対してグローブとスリーブを着用している。当時、夫と子ども2人と母の5人暮らしで、パートをしていたが、診断後退職し、術後1年経って再開した。
語りの内容
あの、「この病院では、全摘しないといけない人には、そういうふうに、こちらから言うけれども、こんな初期の部分で、十分に、あの、部分的に手術ができるのに、できる人にしか言わないんだから、大丈夫ですよ」って。で、「女の人が乳房を失うっていうことはね、すごいかなりあとから、響くことだっていうふうに聞いているので、慎重に選んでほしい」って、何度も何度も先生に注意されたんです。ほんとに、何度も、注意してくださったんですよ。ところが、もう思いっきりがいいというか、最初からもうずっとそう思いこんでいまして…。
後悔はしていないというものの、やっぱし…、それほど、自分が女性であるっていうことを意識したことがなかったですのに、あ、考えて考えたうえでやったのに、こういうことなのかっていう受け入れ方を、ができるのは、ずいぶんあとのほうになるまでできなかったです。失った悲しみというのでもなかったですけれども、もう、こういう体なのだっていうのは、受け入れましたけれども。あの、精神的に……、そういう姿であることに慣れるのは、やっぱり、時間かかりましたね。その、片腕がないとか足がないとかっていうような病気ってありますよね。怪我とか病気とか。それと、同じことである。ま、洋服着ているから、あのー、分からないようにね、今はいろんなこう分からないようにできるようになっていますけれども。自分が一番最初に思ったのはね、忙しいときで、遠い病院に行くのも、最初は1~2回車で連れて行ってもらったんです。でも、あんまり、その、仕事に支障をきたすといけないと思ったので、電車で通えるようって思って、電車で行くようになったんですよ。そしたら、雑踏の中歩くんでも、もう、もう、その悪いほうの胸を、こうスルメじゃないですけどスルメ状態みたいにこう意識してしまっているんですね。だから、さっさっと歩いているのにこっち側ばっかり風受けるみたいな感じで、すごく何かこっち側にない、ないっていうのが意識するわけです。「あ、受け入れられていないわ」ってそのとき思いました。「自分で受け入れることができていないからこんなに意識するんやな」って思って。で、傷口は当たると痛いっていうのもありますから、それを避けているっていうのもあるんですけれども。片一方しかないっていうのを、意識したのは、通院するときに意識しました。
だから、ちょっとくり抜いて手術するとかだったら、そういうことなかったわけですよね。そういうの、全然、手術前は考えもしなかったです。だけど、そういう姿になって、「あ、こういうことなんだって、自分の選んだのはこういうことだったんだ」っていうのは、通院するときとか、ま、病院の中で移動するときに、走ってきている人はないんですけど、すごくかばうわけですよ。で、「あ、そういうことなんやな」っていうのが、だいぶ年月経たないと。もう、最近なんかすっかりね、あの、そういう感覚は忘れてしまってますけど、こうやってお話しているとそのときの感覚はより、こう戻ってくるんですけど。そのころは、そういうことばっかりだったですね。
インタビュー44
- しこりを見つけたとき、良性かと思っていたが、息子が男性で乳がんになった知人の話を知っていて、「ちゃんと診てもらわないと怖いよ」と真面目な顔で受診を勧めてくれた
- 退院して間もなく昼寝後に腫れに気づき、翌日になると一旦引くが、1ヶ月半ほどして、左右の太さの違いを感じてきた。偶然、新聞で患者会を知り、そこでリンパ浮腫だとわかった
- 蜂窩織炎には、数回なった。最初わからず風邪だと思い、近所の医者で抗生物質をもらって難を逃れたこともあった
- グローブをはめて行なう炊事、洗顔、トイレは不便だが、はめて圧迫しながら運動するとよいので夜間以外は常時着用している
- 今年からスリーブ、グローブの購入に保険が利くようになったが、2枚で2万円ほどする。消耗品で替えも必要だからお金がかかる
- 蜂窩織炎がいつ起こるかとか考えると人と約束できない。不自由な体になったが、ストレスをためない程度に注意してやっていきたい
- 女性ホルモン薬と抗がん剤を飲んでいた。副作用のせいか霧がかかったようにぼんやりして反応が鈍くなり、医師に勧められ仕事を始めることにした
- 術式について女性が乳房を失うことは後から響くから慎重に考えるよう、再三医師に言われた。しかし、手術後にやっとこういうことだったんだとわかった