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診断時:44歳
インタビュー時:45歳(2008年4月)
首都圏在住。2007年5月に自分でしこりを発見。右乳がんと診断され、右乳房温存術、リンパ節郭清術、術後抗がん剤治療を受けた。これから放射線療法とホルモン療法を行う予定である。仕事は会社役員(代表取締役)。
語りの内容
最初から誰にでも言えるものではないなっていうには、最初は感じました。で、どうなんでしょう。もし、これが胃がんであったり、ほかの内臓のがんであったとしたら、もう少し最初から誰にでも、その言ったかもしれない。言えたかもしれないですけれども、これは8年前の子宮頸がんのときもそうだったんですが、やはり子宮頸がん、乳がんっていう、その女性特有のがんであることが、カミングアウトをするときのちょっと壁になったなとも思います。
ただ、私は、自分でですね、インターネット上にブログをすぐに、開設をして、自分の乳がんの闘病体験を、ブログにずうっと書き続けているんですけれども、それもただ最初は誰にでもオープンにするために書き始めたのではなくって、家族と、妹と一緒に暮らしていませんので、自分の今、置かれている状態を、伝えるっていうのを、都度電話でしたりするのに、非常にちょっと大変だったものですから、まああとは、すごく身近な友達ですね。その最初に相談した友達もちょっと遠方にいるので伝えないといけないと。
あとは、どうしても仕事上、伝えないといけない相手っていうのも、いたんですね。で、これが隠して隠して、隠し通せる場合も、まあ人によってはあるのかもしれませんけれども、私の場合はオープンにしたほうが、逆に自分が楽になる、仕事の仕方を、仕事の仕方というか、会社を経営していますので、どうしても休まなければいけないというようなことを相手に伝えるときに、どうして休まないといけないのかっていうのも、隠していると余計変に思われてしまいますよね。なので、そういうの、伝えるためにも自分がこういう病気になりましたということをきちんとお伝えする必要があったんです。
今は、もうどなたでもご覧いただけるような状態にしているんですけれども、やはり、最初からすべての人に、どんな人にでも、自分の状態を伝えられるというものでは決してなくて、まあ自分の気持ちの状態が良くなっていくにつれて、乳がんであるっていうことをオープンにしていけるようになったように思います。
インタビュー09
- 自分で異常を感じたらすぐに受診した方がよいと思う
- 右乳房のしこりは針生検、画像上で見つかった左乳房の石灰化は小さいのでマンモトーム生検が行われた
- 生検で痛みはないですと言われたが、痛くて麻酔を追加してもらったり、終わった後痛み止めを飲んだりした
- 検査結果が出るまでに時間がかかり、待っている間は非常に不安が強かった
- 抗がん剤のように短期間なら副作用も我慢できるが、日常生活に影響のある副作用が長期に続くようであれば、ホルモン療法をどうするか考えると思う
- インターネットなどから情報を得て、提示された治療で間違いないと確信が得られたので、セカンド・オピニオンは選ばなかった
- 術後7ヶ月経って傷そのものの痛みはないが、乳房自体には触ると痛い場所が残っている
- 乳房は残せたが、スポーツが一番の趣味なので、リンパ節を取って運動機能に障害が出たことがとてもつらかった
- リンパ節郭清をしたところは熱感があり、そちらの脇の下で測った場合とそうでない場合で体温に1度くらいの差がある
- 抗がん剤の副作用と知らず、はじめは異常だと思わなかったが、点滴中に腕が突っ張るような気がして看護師に言ったら、血管痛ということだった
- 自分で生計を立てている人は、治療している間仕事が十分できないので、1年くらいは生活費もカバーできるような保険に入るか、その分を貯金しておく必要がある
- 会社の代表である自分が休むことで、会社の売り上げが半減してしまうため、事務所を撤収して経費を節約し、会社の維持のための資金調達をして治療に臨んだ
- 女性特有のがんだったことが周りに伝えにくい理由だった。ブログを通して周りの人に知ってもらうようにしたが、最初から誰にでも乳がんのことを話せなかった