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診断時:62歳
インタビュー時:64歳(2008年8月)
北陸地方在住。2006年9月に右乳がんの診断を受けた。術前抗がん剤治療の後、右乳房温存術+リンパ節郭清、術後放射線療法を受け、現在ホルモン療法中。 乳がん発症当時は、母親と息子と3人暮らし。広告関係の仕事に加え、複数のNPO活動に携わっており、治療中もスケジュール調整しながら、継続した。
語りの内容
いくつかの、その活動グループがありましたので。二つか三つですね。日常的に、集まったり、それからいろんな活動をしている三つぐらいのグループの人たちには言いました。それぞれですね、やっぱり、「身近に、いたよ」とか、それから「まあ、気をつけなね」とか、「あまり無理しちゃ駄目よ」っていう、そういう、言葉はいっぱいかけていただいて。で、やっぱり、そのグループの方々の中でも、中心的に、いつも関わっている人たちには、通じているけれど、その他の人たちまでは広がっていないと思います。で、中心的にいつも、関わっている人たちには、やっぱり、話をして、で、理解もしてもらったり、それから、了解もしてもらったりということが必要なので話をしました。
あとは、そうですね、日常的に、そんなに、お世話になっていない、関わっていない方々には、「たまたま、ここんところ、ちょっと調子が悪いのよ」とかいうことで、了解をいただくという場合もありましたし、いつも、関わっている人たちには、やっぱり、打ち明けて、そして、まあ、いろいろと気を遣ってくださるので、それも、助かりますし、はい。それから、本を持ってきてくれた人もいました。「こんな本があるんだけど、もし暇だったら、ちょっと読んでみてね」って言って、持ってきてくれた人もいましたし、それから、「友達にもこんな人がいて、彼女のブログも、見るといろいろ分かるよ」って言って紹介してくれた人もいましたし、まあ、それなりに、皆さんいろいろと、話をして気にかけてくれたり。それから、ちょっとしんどいときに、夜の会合、予定していたけれども、急にやっぱり、「ああ、今日は何となく出たくないなあ」みたいな、「えー、外も、ちょっと、今日は、冷え込んできたし」みたいな、そんなときは、「ごめん」って言って、急に、ドタキャンでお電話するときにも、「ああ、いいよ、いいよ」って言ってくれたり、そんなことがあって、とても、皆さんに、理解をしてもらいながら。で、手術のあとも、そうですね、「ほんとにもう大丈夫なの?」って、言いながら、それなりに気を遣ってくださったりするので、やっぱり、身近に、いる方には、打ち明けたほうがいいなと思います。
インタビュー32
- しこりを見つけたが、仕事の区切りを待って受診しようと思っているうちに大きくなってきた
- 自分でしこりが大きくなっているのを感じ、がんだと確信していたので、告知されたときやっぱりそうかとただそれだけだった。むしろ治療で生活がどうなるか気になった
- 母の介護があり、家の近くで専門医のいる病院を選んだ
- 温存手術で乳頭も残せてふくらみも十分にありとてもいい感じだったが、リンパ節は切除されていた
- 乳頭を切除しないといけない場所と大きさだったので、術前抗がん剤治療を行うことになり、その結果、乳頭を残すことができた
- 抗がん剤で白血球数の減少する周期について医師や看護師から説明を受けたので、それに合わせて日程を組み、会合に出かけるなどして、仕事を続けることができた
- 抗がん剤でむくみが出て股ずれがしたり、正坐できない状態だった。1年経った今もしびれとむくみが残っていて、夜はむくみがひどいので、足を上げて寝るのが日課となっている
- 医師にはホルモン療法の副作用で更年期障害が出ることがあると言われたが、まったく自覚がない
- 日ごろ中心的に関わっている活動グループの人たちには病気のことを伝えたので、気遣ってくれたり、情報を教えてくれたりした。身近にいる人たちには打ち明けてよかったと思う