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診断時:47歳
インタビュー時:51歳(2008年2月)
東海地方在住。2004年、乳がんと診断され、右乳房温存術、追加切除術、抗がん剤治療、放射線療法を受けた。2006年、骨転移で放射線療法と抗がん剤治療を受けた。2007年、肝転移、胸膜転移で抗がん剤治療を開始。金融機関に勤務し、休職と復職を繰り返してきた。治療中に夫と義父を看取っている。
語りの内容
スポーツジムに通ってたんですね。で、結構、マシン使ってハードにやるのが好きで、あるとき、腰が痛くなっちゃって、「あ、やりすぎちゃった。筋肉痛かな」って思って、1ヶ月ぐらい、「ああ、痛い、痛い」って言いながらもマシンをやってたんですね。だけど、あまりにも痛いもんで、おかしいと思って、開業医の整形外科に行って、レントゲン撮ったら、「ちょっと変じゃない?」って、もちろん病気(乳がん)のこと言ってあったから、そうしたら、「すぐ検査受けてもらってください」って言われて。あ、そんときの対応がちょっと「ん?」って思ったんだ。で、そんときには、もう3ヶ月に一遍。いえ、半年に一遍の検診になってるときだったんで、それがね、10月だったんですね。痛いって分かったのが。で、12月に検診だったんですよ。で、そのときに病院に(電話して)「整形外科でこう言われちゃったんですけれど、すいません、検査に行きたいので検査の予約を入れてください」って言ったんだけど、「もう予約が取れません」って言って、結局、最初から決められてた検診のときに。治療も何もないときだったので、そういう状態だと(定期的な診察は)ただ問診だけじゃないですか。そんな半年に1遍で。「ともかく、レントゲンも頂いてるので、もしできれば、(骨の)検査を入れてください」って言ったんだけど、そのとき、「まあ、先生が見てから」っていうことだったんですね。
で、12月の最初から予約してあった日に行って、先生にレントゲンを見てもらって、で、すぐ骨シンチっていうことで(笑)、骨シンチやったら分かった。まあ、それが本当に混んでなければね、もっと早くに検査してもらえたんだろうけれど、そのときはちょっと、「えー?」って思いましたけどね(笑)。でも、先生も「そんな骨転移するとは思わなかった」みたいな口ぶりだったんですよね。うん。腫瘍マーカーも高くなかったし、なもんで、先生に「腫瘍マーカー、高くないのに、こうやってできちゃってるんだけど、なぜ高くないの?」って言ったら、「うーん、あんまり当てになんないのかな」とかって(笑)言ってましたけどね、そんときには。「腫瘍マーカーってあまり当てになんないのかな?」って思いましたね。うん。それで分かりました。
インタビュー06
- 友人と検診の話になり、胸を触ったら硬いものを見つけ、乳がん検診に行った
- 切除範囲に関する術後の説明に納得が行かず、別の病院に行って超音波やCTなどの検査をした結果、追加手術でがんを切除した方がいい、といわれた
- 乳房温存手術に引き続き抗がん剤治療を受け、職場復帰して通院で放射線治療を受けた
- 腸骨と股関節の転移部に放射線照射をするのに、通院途中で転んで骨折するといけないということで、入院して治療を受けた
- 知人に健康食品を購入するよう勧誘されたが、月に10万もかかるので、つい「人の弱みに付け込んで」とけんか腰になってしまった
- ジムで腰が痛くなり、近所の整形外科でレントゲンを撮ったところ、精密検査を勧められた。腫瘍マーカーの上昇はなかったが、骨シンチで腸骨に転移が見つかった
- インターネットや本で免疫力を高めるものを調べ、ニンジンジュースや野菜スープ、ねばねば食品、発酵食品など自分なりに1日分の食事のメニューを作っている
- いついつまでに何かをするといった目標を立てるのをやめ、頭を真っ白にする時間を作るようにしたら、気持ち的にすごく楽になった
- 休職して再発治療に専念できるよう、人事部の担当者と医務室の保健婦さんが、配属先の上司との間に立って話をつけてくれた
- 再発後、本気で治そうと思ったら仕事を辞めて別の人生を歩むことも考えるべきかと思うが、(自分が家計を支えているので)それでは経済的に追いつかない
- きょうだいにはみんな話しているが、高齢で心配性な両親には未だに話していない
- 娘は懸命に支えようとしてくれるが、夫が亡くなり、自分も再発したことのショックは大きいと思う。弱気な自分を見せてはいけないと思っている