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診断時:36歳
インタビュー時:47歳(2008年8月)
首都圏で夫と子ども2人の4人暮らし。1996年夏、妊娠8ヶ月で右乳がんと診断される。妊娠37週になるのを待って、帝王切開と右乳房切除術+リンパ節郭清を同時に行った。その後、化学療法、ホルモン療法を行う。術後11年目2007年夏に胸骨と卵巣に転移。胸骨への放射線療法、両側卵巣切除術+大網切除を行い、現在は抗がん剤治療中。
語りの内容
無事に1年たち、2年たち、不安は大体薄れていきましたね。だんだん病院に行く回数も少なくなって、もう10年経ったときに、おなかにいた子どもが10歳のお誕生日に、あ、10年経ったということで、うん、もうだいぶホッとしましたね。10年経って、良かったなと思っているうちに、11年目のときに実家の母が肺がんが見つかりまして、母はとっても初期に見つかったので、レントゲンのときに1センチぐらいの腫瘍が見つかりまして、肺を部分的に切除する手術をしたんですが、母の場合、抗がん剤とかしないで済みましたので、その母に付き添って検査ですとか、入院ですとか、お見舞ですとか行っているうちに、私、ここ(胸の上の骨)のところが何かちょっとシクシク痛かったのを、なるべく実は考えないようにしてたっていうのがあるんですね。こう骨が痛いっていうのは、もう再発…転移だなっていうのはもうすぐに感じますけれども、なるべく転移だというのは考えたくなくて、認めたくなくて。でも、母が肺がんになりまして、付き添ったりなんかしているうちに、やっぱり私も病院に行かなくちゃいけないわよねと思いまして、はい、母が肺がんになったきっかけもあって、その自宅の近くの、もう何年も行ってなかった病院に行くことにしました。それが去年の9月でした。(病院に)行ったときに、もう先生が一目診て、「ここ、こんなにボッコリ出ちゃっているじゃないの。何で、もっと早く来なかったの?」って言われたんですが、行きたくなかったんですよね。認めたくなくて。再発したっていうのを自分でこう、「再発したらもう死ぬまで治療するんだよ」とか、「治療は終わらないんだよ」とか、そういうのを聞いて分かってましたから、再発したって認めたくなくて。シクシクここ(胸の上)のところが痛くなっていたんですが、行きたくなくて、認めたくなかったんですね。でも、まあ母が肺がんになったというきっかけもありまして、私も去年の9月に行って、「もっと早く来ればいいのに」なんて先生に言われました。
で、やっぱり骨に転移してたんですね。こうここの部分が出ちゃってたんです、ボコンと。それで、治療が始まりました。まず、最初にPET検査を都内まで行ってPET検査受けましたら、ここの転移もオレンジ色に検査の結果が出るんですけれども、あと、骨盤の中もオレンジ色に真っ赤っかになってしまっていたんですね。で、おなかの中(卵巣)にも転移しているということで、その通っていた(近くの)病院っていうのが放射線治療の設備がありませんでしたので、まず、ここ(胸骨上部)の放射線の治療をするために、その病院から大きな病院に紹介されて転院をすることになりました。
インタビュー26
- 妊娠中に硬く嫌な感じのしこりを見つけ、直観的にがんだと思って一晩泣き明かした
- 温泉に入るときは乳房切除後の傷を隠せるような肌色の生地でできた専用のカバーをつけている
- 骨転移に対し自宅に近いがんセンターでの放射線照射を希望したものの、とても混んでいたので、遠方の大学病院まで通うことになったが、毎日遠足気分で楽しく通院できた
- 手術して11年目、しくしくと胸の上のほうの骨に痛みを感じたが、転移だと認めたくなくて、なかなか受診できなかった。PETで胸骨と卵巣に転移が見つかった
- 卵巣転移があり、腹水が貯まっていて、どこまで切除するかはお腹を開けてみないとわからないと言われた
- がんになるとお金がかかるということを、初発のときにはそれほど感じなかったが、再発後は月に8万円くらいかかっていて、将来の子供の学費が心配になる
- 現在、再発治療で毎週病院に行っているが、小学生高学年と中学生の子どもたちにまだ病気のことは詳しく話してあげたことはない
- 子ども関係で役員をしていたので、迷惑をかけるかもしれない人たちには病気のことを伝えた。どこまで話すかは難しい問題だと思う
- 12年前、乳がんになって友達に話したら、泣かれてしまった。親しい友人とかショックを受けると思うと、打ち明けるのはかわいそうかなと思ってしまう
- 乳がんがわかったのは妊娠8ヶ月のときで、37週まで待って帝王切開で出産後、同日、乳房切除術を受けた。その後、抗がん剤治療を受けた