※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
診断時:62歳
インタビュー時:65歳(2008年6月)
中国地方在住。2005年に自分でしこりを発見。自宅近くの総合病院に受診し、左乳がんと診断された。術前化学療法を行い、病期が2期から1期になり、乳房温存術+センチネルリンパ節生検を受けた。 夫と2人暮らしの主婦。息子2人は自立して遠方に住んでいる。
語りの内容
脱毛のほうは、初回の点滴をして、3週間目ぐらいから始まりました。まあ話には聞いておりましたけど、それは壮絶たるもので、女性として、やっぱり髪の毛が抜けるっていうのは、こういうことなのかと思ったのが。短くカットしておけばよかったんですけどね。私、ちょっとセミロングだったんですね。で、最近は、みんなに、「切っといたほうがいいよ」っていうふうにも、ほかの方にはアドバイス差し上げてるんですけどもね。私の場合は、そういうのを聞いてなかったもんで。抜けるときにシャンプーしますよね。そうするともう、濡れた髪が団子状になっちゃって大変なんですね。もちろん、洗面器に抜けるのはわっと抜けるんですけど、あと、抜けた髪がセミロングの長さだから、濡れたまま絡まっちゃって、団子になっちゃって、シャンプー終わった後、ブラシも、荒いくしも通らないんですね、濡れてて。
それで、主人に言って笑ったんですけど。「ちょっとこれ、とかして」って言ったんですね。「もう抜けるかもしれないけど、もう何とかやって」って言ったら、主人が「そんなかわいそうなこと、ようせんわ」って言ったんですね(笑)。で、ちょっと主人もはげてるんで、「お父さんと一緒になるね」って笑ったんですけども。でも、主人が言いました。「でも、あんたはまた生えるじゃん」って言ったんですね(笑)。
「そうかもね」とか言って、まあ、泣いたり笑ったりしながら、脱毛の体験をしましたけど。とにかく朝起きたら、枕カバーにいっぱい抜け毛が落ちてるし、私の動く所はあらゆる所にはらはらと、その中途半端な髪の毛が、20センチぐらいのセミロングの髪の毛があっちにもこっちにもあるんですね。もう掃除機をしょっちゅうしないといけないし、手でこう頭をすくと、その指の間に全部こう抜けてくる。この体験は、ちょっと経験のない方に語っても説明が難しいぐらいの体験でしたね。
インタビュー13
- サラリーマンの妻時代は検診を受けていたが、異常がなく安心していた (音声のみ)
- 診断がつく前に、体験者から話を聞く機会があり、がんになった以上は前向きに治療しようと思ったが、医師から渡された乳がんのパンフレットはすぐには見られなかった(音声のみ)
- 医師がよく説明してくれるが、聞き忘れるときもある。それを看護師が丁寧に補ってくれるので、安心。この病院を選んでよかったと思う(音声のみ)
- 術後は吐き気もなく、翌日には患部の痛みもなく、触れてみると何がしかふくらみも残っていて、ほっとした。その後も順調に快復して術後5日目には退院できた(音声のみ)
- 術前抗がん剤の治療中、しこりが熱くなるような反応を感じることがあった。「小さくなーれ」としこりに話しかけていた(音声のみ)
- 抗がん剤の副作用で雪焼けをしたように皮膚が赤黒くなってしまったので、ファンデーションの色を濃い目に変えた(音声のみ)
- 抗がん剤の副作用でだるくて家事が進まないことがストレスだったが、ある時考え方を変えて、できないことは甘えてしまおうと思ったら、気が楽になった(音声のみ)
- 抗がん剤をして3週間目ではらはらと脱毛が始まった。夫が「あんたはまた生えるじゃん」と和ませてくれ、泣いたり笑ったりしながら過ごした(音声のみ)
- 傷についてはタブーのような気がして話題にしないが、抗がん剤で髪が抜けたときのことや闘病の様子を詠んだ短歌で、夫の自分への思いを知ることができた(音声のみ)
- 息子たちがショックを受けると思い、病気のことは言わず、夫と2人で闘病することにした。抗がん剤治療中に息子が里帰りしたときも明るく振る舞い、気付かれなかった(音声のみ)
- 近親者にも、近所の人たちにも病気のことは言っていなかったので、グラウンドゴルフも都合が悪いと休んでばかりはいられず、術後2週間で復帰した(音声のみ)