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診断時:28歳
インタビュー時:34歳(2010年3月)
近畿地方在住。2004年2月、左乳がんと診断され、左乳房温存術、センチネルリンパ節生検、術後抗がん剤治療、放射線療法を受けた。妊娠を強く希望していたため、抗がん剤治療前に卵子を凍結保存したが、自然妊娠し、無事に出産した。 診断時、夫と2人暮らし。パートをしていたが、病気がわかって辞めた。
語りの内容
だんだんこう髪の毛も抜けてきたときに、やっぱりもう本当にショックで、もうお風呂で毎日こう抜けていく髪を見ながら、やっぱり泣いていたんですけれど、もうある程度抜けちゃうと…もう、いいやっていう感じで美容院に行ってもう全部、もうすっぱりきれいにしてもらって、もうその中途半端なのがすごく、なんか余計に嫌で、もうだったら早く失くしてしまえという感じで全部やってもらって。で、もうウィッグも用意していたので、ウィッグもちょっと切ってもらって自分の好きなようにやってもらって、ウィッグ生活を始めたんですけれど、真夏だったので、暑くて、もう変なところから汗、普通の本当の髪の毛だったらかかないだろうなっていう場所から汗がなんかこの辺からなんか不自然な汗が流れてきたりとか(笑)。
で、やっぱり風の強い日には、気になって、飛んでかないかなって気になったりだとか、そんな人の、人は大して見てないんだけれど、こう人の目が気になって、「あら、あの人かつらだわ」みたいに思われてないかとか。やっぱりこの実家、地元なので、知っている人も多いし。私も、実家にいたとき仕事していたのも、地元だったので、その職場で知っている人とも何回かこう顔を合わせることもあったので、「なんか髪の毛、変」ってこう思われるんじゃないかとか、そういうのがあってだんだん外に出るのがちょっと嫌になってきて。で、まあ引きこもりではないですけれど、家にちょっとこもってしまったりっていうのもあって。でも、脱毛したことは、なんかもうなくなっちゃったらなくなっちゃったで、すごくすっきりして。で、しかも真夏でその坊主頭がすごく気持ちが良くて、何て男の人はうらやましい髪形をしているんだろうと思って、思いながら。
で、その家族も、その脱毛したときに、まあやっぱり心配して気になってはいたんでしょうけど、私が坊主頭でうろうろしていても、もう自然に本当に振る舞ってくれて。その乳がん、まあ全体なんですけれど、なんかこう病人っぽく接するんじゃなくて、本当に普通に、接してくれたので、もうそれが私にとっては逆に楽で、もう普通に坊主頭でうろうろしていようが、もう病人だからって、ずっと寝て、寝たきりじゃなくって、普通に掃除も洗濯とかも手伝ったりとか、ご飯の用意もしてたので、それ、そういうのがあったので、まあ抗がん剤で、いろいろ副作用でつらいことはあったけれど、まあ乗り切れたのはもうそういうのが、あったかなっていうのはあります。
インタビュー51
- 髪の毛が抜けたときはショックで、肥満も加わり、周囲の目が気になった。抜けた後はすっきりして、夏は涼しく、家族の前では普通に坊主姿で楽だった
- 治療中、夫は長期海外出張中だった。たまに電話しても、気持ちがすれ違って悔しい思いもしたが、心配されすぎるより、かえってよかったのだと思う
- 3歳の娘にはママはおっぱいの病気と言っている。一緒に病院にも連れていき、検査される姿を見ているので、ある程度の年齢になったら、娘も抵抗なく検診に行けるといい
- 治療後の卵巣機能低下を懸念し、保険を掛けるつもりで卵子凍結保存をすることにした
- 採卵できないと抗がん剤治療を始められないので病気の進行が心配だった。卵子凍結保存できたことで、抗がん剤の副作用がどうあれ、安心して治療に臨めた
- 治療後半年後に妊娠許可が出てすぐ、拍子抜けするくらいスムーズに自然妊娠したので、神様からのご褒美だと思っている
- 妊娠中は、術後の放射線を浴びた乳房で母乳を飲ませてよいか不安に思っていたが、主治医に大丈夫だと言われた
- 娘を身ごもり、真っ先に乳がんの遺伝が頭に浮かんだが、出産した時は乗り越えてきたものの分もプラスされ感動した。みんなに諦めないでと伝えたい