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診断時:39歳
インタビュー時:46歳(2008年10月)
東北地方在住。2001年冬、右乳がんと診断され、右乳房温存術と腋窩リンパ節郭清を受け、術後は放射線療法とホルモン療法を行った。術後1年ほどして、リンパ浮腫となり、現在はミトンとスリーブ着用、リンパドレナージを毎日行い、悪化防止に心がけている。夫と子ども2人と夫の両親の6人暮らし。仕事は事務系の会社員。
語りの内容
あのー、まあ、そのリンパ浮腫っていう病名自体、あのー、初めは知らなくって、まあ、手術の後にむくみますよっていうことしか言われてなかったので、それがリンパ浮腫であるかどうかというのも、まず、まあ分からない状態でした。で、えー、その主治医に、リンパ浮腫かもしれないっていうふうに、えー、言われたときは、もう、お薬とか何か手術とかで治るもんだって自分でこう、勝手、もう思っていたんですよね。ところが、その、ご紹介いただいた患者さんに聞いてみたら、一生治らないですよ、ただ、上手に付き合っていくしかないですよ。で、ケアは一生続きますよっていうようなことを言われて、すっごくショックだったんですよね。で、えーっ、こんなのが一生続くのーって、本当にその、これからやっていかなきゃいけない、自分がケアしていかなきゃいけない、注意していかなきゃいけないっていうことに対して、すごく不安にはなりました。
いろんな患者さんとか、あの、お話を聞かせていただく、お話をさせていただくような機会があって、で、そういったところで「みんな毎日やってるの?」とか、まあいろいろあるんですけれども、そういったところでやっぱり、自分が仕事で疲れているようなときにはドレナージはできない。だけど、やんなきゃいけないって言われたのに、ってこうなってしまうと、すごくこう心が重くなって、その、義務感だけがこう頭に残っちゃって、やらなかったことに対して、すごく、こう、何ていうんでしょうね、えー、不安になるっていうんですか、やらなかったから、1日やらなかったから、すぐに、むくんでしまうとかっていうことではないんですけど、その積み重ね、やらなかったことを積み重ねていくとそういう状態になるっていうようなこと。だから、できるときにセルフケアをしていく、えー、弾性着衣を着けていくというのは、まあ、慣れてくれば日常化になってきますし、できないときには無理してやらなくても、まあ、明日時間を作ってやればいいとか、帰ってから、じゃ、ゆっくり、お風呂に上がった後にゆっくりやるとか、そういったような時間を自分でこう上手に、時間を見つけられるようになってきたんで、うん、そういった面では、はじめ言われたばっかりのころの気持ちとは違ってきてますね。
インタビュー43
- 乳腺症だろうと思っていたが、医師の様子でがんだとわかってしまった。一人だったので、看護師に家族を呼ぶか聞かれたが、何とか自力で帰った
- 子どもが小学生だったので、おっぱいがあった方がいいと思って温存にした
- 術後病理検査の結果が出るまでは退院しても心配で何も手につかないと思ったので、そのまま残って、2ヶ月近く入院した
- 他の患者たちがリンパ節郭清を受けなかったので、自分も大丈夫だろうと思っていたのに、センチネル生検で転移が見つかってリンパ節郭清となったのはショックだった
- 術後1年ぐらいしたときにピリピリとした痛みと指先のむくみを感じて医師に伝えたら、リンパ浮腫かもしれないと言われた
- 近くにリンパ浮腫の専門家がいなかったので、患者会でリンパドレナージや弾性着衣などのセルフケアについて学んだ
- 浮腫のケアは一生続くと言われてショックだったが、やれるときにやればいいと思えるようになったら気持ちが軽くなった
- 母親の自分が乳がんになったことで、もし遺伝性だったら、娘や息子が乳がんを発症したらどうしようかという不安がある