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診断時:56歳
インタビュー時:79歳(2008年12月)
近畿地方在住。1986年に右乳がんの診断で、乳房切除術とリンパ節郭清術を受けた。男が乳がんということでとても驚いたという。2001年以降、右頸部や右肋骨などへ転移・再発があり、さまざまな治療を受けてきた。 当時は母と妻と息子2人の5人暮らしで営業管理職。現在は妻と2人暮らしで無職。
語りの内容
――今ね、このしびれというとこから、始まったと言っていたんですけど、腕は両方とも結構腫れていますか?その…
両腕何?
――腕は、腫れているんですか?
あ、あのね、あの、一番初め測ったときの資料と、全部くれましたけれどね。で、昨日、一昨日行ったら、その前のときに、ひと月前に行ったら、大体、こっち側(左)がもう4センチほど、全体的に、あの、平均でね。こっち側(右)は2センチ、こっち側(右)はもう正常に近いですわ。そやから、あの、静脈の注射したり、血液採るときもここからでもした。今まで、ここで(手の先)やっとったわけです。こうしても出へんからね。こっち(右)は、もう、ほぼ、正常になってんじゃないですか。で、こっち側(左)は、まだちょっと腫れています。硬いとこありますしな。そやから、毎日、こうリハビリ(用手的リンパドレナージ)せなあかん。リハビリのやり方は、もう3時間かかってやってくれるわけ。はあ、あれはね、感心しますわ。申し訳ないと思います。
前は、そんで、それ保険に出な、出ないんですよ、あれ。リンパは。あれで、先生いわくにはね、今、いろいろ陳情しているらしいけどね。4時間ほどかかるわけです。そやからね、2人しかできないわけですわ。木曜日だけでね。で、僕に、やっぱり3時間か、以上かかりますやろ。それは、もう、リハビリの繰り返しですわ。こうやって、ほんで、最後包帯巻いて、それから、包帯巻いたとこに、今度は機械で、あの、こう、どないいうんですか、低周波じゃないですね。何か言うてました。忘れましたけどね。ほんで、そりゃ、手間のかかる、それとね、資格のある人が2人いらっしゃって、こうやってもらってはる。この水が動いてね、ちゃんとリンパに返ってくるような感じしますわ。で、僕らなんかやったら、あの、寒いのとあれで、早いことやりまっしゃろ。で、僕は、こっち両方(両腋窩のリンパ節)ありませんから、足のこのリンパに返さなきゃいかん。うん、そやから、それは、毎日やってます。で、毎日やれへんかったらね、1週間経ったら、やっぱり、また腫れていますわ。それは、やっぱり、患者は、やっぱり、自分の病気が知っとって、自分の病気ならば、やっぱし、手抜きはあってもいいけど、やっぱり、やるべきことはやらなきゃいけまへんな。薬に頼る、先生に頼るんじゃなくて、やはり、自分の免疫力をつけるためには、ものを食べる、おいしくよく噛んで食べる。もう、基本的なものを原点に戻ったほうがええかもわかりまへんな。そう思います。
インタビュー35
- 10年ぐらい前からしこりがあり、徐々に大きくなって乳頭が凹むようになった。男性に乳がんがあるとは思わず、脂肪の塊だと思っていたが、産業医に診てもらい、乳がんと診断された
- ストレスの多い生活だったので、がんと聞いて当然だと思った。しかし、いまだに男が乳がんになるというのは不思議だ。見舞いの友人たちは「乳がん」と聞き、なるはずないと笑った
- 専門施設で手で行なうリンパドレナージの治療を受けているが、それだけに頼らずセルフケアも毎日している
- セルフケアの方法は、腹式呼吸から始まり、さすりながら全身のリンパを流す。ちゃんとやると40分はかかるが、自分の場合は風呂上がりに30分くらいしている
- 髪の毛は抜け、しびれもあったが、食欲はあったし、よく運動した。長年、社交ダンスが趣味で、治療中でも4時間も踊って、みんなに鉄人と言われた
- 抗がん剤の副作用でがさっと髪が抜けた時は、いい感じはしなかった。丸坊主で眉毛もなくなったが、そのままの姿でパーティーに行き、社交ダンスを踊っていた
- 再発は最初の告知より、死を意識してとてもショックだった。なぜ男性の乳がんになったかわからないが、考えても仕方ない。何とか治したいが、治らなくても笑って死にたい