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診断時:60歳
インタビュー時:62歳(2008年3月)
近畿地方在住。2005年12月、大腸がんの術後の定期検診で胸部CTを撮り、偶然右乳がんが見つかった。乳房温存術、センチネルリンパ節生検、術後抗がん剤治療、放射線療法を受け、現在ホルモン療法をしている。日本語学校の教師をしていたが、乳がんをきっかけに退職した。
語りの内容
私はその放射線の治療っていうことに対して、すごくちょっとトラウマがありまして。父が、前立腺がんで亡くなってるんですね。で、そのときに、ものすごく苦しんだんですね、放射線の治療に。で、本当に、ご飯が食べられなくて、毎日毎日、吐き気がして、そこで体力、すっごくなくしたんですね。でも、そのときは、もう20…30年近く前ですから、本人にがんということは言わないというか、お医者さんもおっしゃ、言わなかったですし、まあ、私たちもそれは当然だろうという形で、父にはちゃんと言わなかったですね。ですから、その治療ですごく父が苦しんだと思うんですけれども、やっぱり父が亡くなってから「言ってあげればよかった」っていう気持ちがすごくあったんですけれどもね。
で、放射線、あんな苦しい思いするのかなっていう感じでいたんですけれども、まあ、先生が、うーん、先生に私はちょっと父のことね、言って、「すごい大変ですよね?」っていう感じで言ったら、「いや、そんなことないですよ」って言ったんで。「まあ、でも受けなきゃしょうがないんだったら受けよう」と思って、それで、まあ、放射線の治療、1日も休まないで30回。1ヶ月半かけて無事に終わったんですけれども。まあ、本当に、何の副作用もなかったですね。吐き気とかも全然ありませんでしたし、まあ、ちょうど冬でしたから、インフルエンザが流行ってるので、とにかくお医者さんから「人混みには出ないでくださいね」って言われてたんですね。「風邪を引いたりして熱が出たりすると、それはできなくなりますから。で、なるべくこれは続けてやらないと意味がない」って言われて。
それでも病院とね、家と往復だけで毎日毎日ね、行ってると、もう本当に息苦しくなってくるんですよね。だからもう、息抜きしながらね。ちょっと楽しみながら(笑)。帰り、展覧会に行ったりとか、そんなうろうろしながら、帰って…やったんですけれども。
インタビュー08
- 細胞診ではグレーだったが、組織診をしてはっきりがんと診断がついた
- 抗がん剤はしたくないと思ったが、家族はやるだけのことをやってほしいと言ったので、あとで後悔してほしくなくて受けることにした
- がんを取ったところに血液か何かを入れてあるので、その部分を触ると硬いが、ポコッとへこんでいる感じはないので、温泉にも普通に行っている
- 抗がん剤治療中に娘が出産し、孫の面倒に追われ、病気にばかり気持ちが行かなくてよかった。吐き気などの副作用も軽く、無事に治療を終えられた
- 髪の毛が抜けて外に出るのがおっくうになっていたので、高いけどかつらを買ったら気持ちが楽になり外出できるようになった
- 前立腺がんで亡くなった父が放射線治療で苦しんだのを見ていたので、大変だろうと思っていたが、副作用もなく、30回休まずに受けることができた
- ホルモン療法で骨量が減ってきて、骨粗鬆(しょう)症までは行っていないということだったが、薬を飲むことになった
- 大腸がんの時は医師からの説明を1人で聞いたが、乳がんの時は夫が会社を休んで一緒に説明を聞きたいと言ってきた
- 自分の場合は最初からがんになったことを隠さずにオープンにしたので、周囲の人たちから励ましや情報をもらえてよかった