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診断時:43歳
インタビュー時:50歳(2008年7月)
近畿地方在住。2000年冬に集団健診で右乳がんを発見。乳房部分切除+腋窩リンパ節郭清、腹直筋皮弁による乳房同時再建術、放射線療法とホルモン療法を受けた。 母親と姉と3人暮らし。発症当時は自分の事務所を持って、グラフィックデザイナーとして活躍。現在は、乳がんの啓発活動に積極的に取り組んでいる。
語りの内容
放射線のほうは本当に日焼け状態になって、きれいになったんですけども、日焼け状態になるとかって言われてて、でもほんとかなっていう感じですけども、なんか後半になってると本当にもう日焼けというか、本当にもう焦げ茶色みたいな感じになって、皮膚が。そのときに、たまに痕(あと)が残る人があるよって言われてて、すごく心配してたんですけども。皮膚が爛れたり(ただれたり)っていうか、強く石鹸で擦ったら駄目だって聞かれたんで、本当にもう泡だけでこう、撫でるように滑らすようにやってたんですけれども、そのときにあまりにも、その焦げ状態というか、ほんとに、なかなか落ちなかったんで、心配して、放射線の先生に「これって残るんですかね?」って相談したら、「まあ、この今の段階でまだちょっと落ちてないようだったら残るようかもしれないなあ」とか(言われて)、すごく心配だったんですけれども。私はその同時再建のときに形成の先生にも、診ていただいてたんで、形成の先生に診ていただいたら、逆に「体洗ってる?」 とかって言われて。「不潔になるよ」とかって。
えーっと思って、あ、じゃ、ちょっとこすってもいいんだって思って。それから、あの、帰ってもう恐る恐る、本当に、あのかさぶたを剥(は)ぐような感じで、あの、そーっとやってくと、なんかこの本当にこう、少しずつきれいな皮膚っていうか、顔を覗かせてきて。あ、ある程度はこすってもいいんだなという…なんかあとで笑い話になるんですけれども。逆に大事にしすぎて、日焼けあとをずっと長い間残してたっていう感じで。ちょっとずつでも、落とせばいいんだなあと思って。それは、放射線のほうは大丈夫でした。
インタビュー25
- しこりを見つけたが、どこで診てもらっていいかわからず、風邪のついでに内科の先生に診てもらったら、大丈夫だと言われた
- 自治体からお知らせが来て、検診を受けたら乳がんが見つかった
- 最初の医師とは信頼関係が結べなかったので、メーリングリストで紹介された医師にセカンド・オピニオンを求め、手術をお願いした
- 水着で隠れると言われて腹直筋皮弁法にしたが、お腹への負担が大きいので、出産のときにいきめるのかという不安を感じた
- 同時再建だったので胸の傷に関するショックは少なかったが、お腹の傷が思ったよりひどくてびっくりした
- 腹直筋皮弁の同時再建で入院期間はがんを取るだけの手術より3~4日延びた。胸の痛みよりお腹の痛みの方が激しかった
- 移植したお腹の皮膚がちょっと毛穴が大きいような気がする程度で、乳房自体には変化がなかったが、年齢とともに健康なほうの乳房が下降してきた
- 放射線を当てている皮膚が焦げ茶色になり、痕が残るのが心配で入浴時もこすらないようにしていたが、医師にきちんと洗うように言われて、そっとこすったらきれいな皮膚が出てきた
- ホルモン療法ではプールから上がったときのように流れ落ちる汗に苦労した
- もともとマクロビオティック(※)には関心があったが、あれこれと気を付けるよりも、積極的に生きることにエネルギーを費やしている
- デザイナーとして仕事をしてきたが、病気になったことをきっかけに、1年くらいかけて自分を見つめ直して、本当に向かいたい道は乳がんの啓発活動だと気づいた
- 人によっては男性に打ち明けづらいと言うが、自分にとって乳がんは自分の生き方と一体であるので、切り離せないものだと思っている