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診断時:62歳
インタビュー時:65歳(2008年6月)
中国地方在住。2005年に自分でしこりを発見。自宅近くの総合病院に受診し、左乳がんと診断された。術前化学療法を行い、病期が2期から1期になり、乳房温存術+センチネルリンパ節生検を受けた。 夫と2人暮らしの主婦。息子2人は自立して遠方に住んでいる。
語りの内容
やはり主婦ですのでね、やっぱり家事はするものだというのが、概念としてずっとあるじゃないですか。私も、主婦歴長いですし、家事は、自分がするものだと思って長年やってきて、62歳までやってきてね、突然、何かね、副作用でね、何かだらだらしてるとね、何かなまけてるようでね。家のお掃除も、何か普通だったら隅々までできるのに、体がしんどいがために、何かもうやりたくないし、台所もぐちゃぐちゃだけど、もうそんなんする気力もないし、食欲もあんまりないから、ご飯作るのも何か嫌で、億劫でっていうのはあるんですよね。だけど、それが逆に、ストレスになることってあるんですよ。だから、ほかの方もそうだったと思うんですけど、私もそれがストレスだったんですね。
でもね、ある日ね、考え方変えました。ああ、私、病気なんだし、もうできないことはできないし、掃除ね、ごみたまってても死にゃしないしね、もうそれであきらめようと思って。で、食生活もね、やっぱりちょっと、こうバリエーション変えたほうがやっぱり食べる気にもなるんで。で、お酢のものとか割と食べやすいんで、「じゃあ、今日、あのー、回転寿司に行こう」とか、ちょっとこう変えて、気分変えてしたら、ちょっと食べれたりとか、ああ、これだったら食べれるなと思って食べたりとか、そういうふうなことしたりとかして、まじめな主婦業をちょっとさぼることに、抵抗感じないように。もう私は、もう今、治療中で頑張ってんだから、もうそっちはちょっと二の次でということで。
主人と別に相談したわけでも、話したわけでもないんですけども、まあ、主人にも、「今日はもう出来合いを買ってきて」って言ったら買ってきますし、そういうことでね、甘えちゃいましたね。で、そしたら、肩の荷がすっと下りちゃって、ああ、もうこれでいいんだと思って。またできるようになったらね。できなかった部分をまた頑張ればいいんだしと思って…。
インタビュー13
- サラリーマンの妻時代は検診を受けていたが、異常がなく安心していた (音声のみ)
- 診断がつく前に、体験者から話を聞く機会があり、がんになった以上は前向きに治療しようと思ったが、医師から渡された乳がんのパンフレットはすぐには見られなかった(音声のみ)
- 医師がよく説明してくれるが、聞き忘れるときもある。それを看護師が丁寧に補ってくれるので、安心。この病院を選んでよかったと思う(音声のみ)
- 術後は吐き気もなく、翌日には患部の痛みもなく、触れてみると何がしかふくらみも残っていて、ほっとした。その後も順調に快復して術後5日目には退院できた(音声のみ)
- 術前抗がん剤の治療中、しこりが熱くなるような反応を感じることがあった。「小さくなーれ」としこりに話しかけていた(音声のみ)
- 抗がん剤の副作用で雪焼けをしたように皮膚が赤黒くなってしまったので、ファンデーションの色を濃い目に変えた(音声のみ)
- 抗がん剤の副作用でだるくて家事が進まないことがストレスだったが、ある時考え方を変えて、できないことは甘えてしまおうと思ったら、気が楽になった(音声のみ)
- 抗がん剤をして3週間目ではらはらと脱毛が始まった。夫が「あんたはまた生えるじゃん」と和ませてくれ、泣いたり笑ったりしながら過ごした(音声のみ)
- 傷についてはタブーのような気がして話題にしないが、抗がん剤で髪が抜けたときのことや闘病の様子を詠んだ短歌で、夫の自分への思いを知ることができた(音声のみ)
- 息子たちがショックを受けると思い、病気のことは言わず、夫と2人で闘病することにした。抗がん剤治療中に息子が里帰りしたときも明るく振る舞い、気付かれなかった(音声のみ)
- 近親者にも、近所の人たちにも病気のことは言っていなかったので、グラウンドゴルフも都合が悪いと休んでばかりはいられず、術後2週間で復帰した(音声のみ)