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診断時:22歳
インタビュー時:25歳(2008年10月)
東海地方在住。悪性黒色腫(メラノーマ)を患った経験あり。2006年冬、自分でしこりを発見し、受診。右乳がんを診断され、右乳房切除術+腋窩リンパ節郭清、術後抗がん剤治療を受けた。 両親と3人暮らし。専門学校卒業後は飲食店で接客業のアルバイトをしていた。
語りの内容
2クール目の途中で急に、朝起きたら手足がピリピリとしびれてきて、感覚が何だかおかしくなってきて、熱いものを触っても熱く感じないし、冷たいものを触っても冷たいと感じないし、何かペンを取ろうとしてもうまくつかめなくて落としてしまったりっていう感覚、手足の感覚異常が出てきて、EC(*)のときにはなかった副作用でもう慌ててしまって、次回の投与のときに先生に聞いたら、説明の用紙の隅っこに感覚障害って書いてあって、「これです」みたいな感じで言われて。もう副作用だから、どうしようもないっていうことで、「その感覚障害に慣れるしかない」っていうことを言われました。
で、足も手足がどんどんひどくなっていき、歩いていてもコンニャクの上を歩いているみたいな感じで、しっかりと地面を蹴って歩けないというか、そんな感じだったので、何にもないところで突然転んだりとか。あと、街なんかだと、点字ブロックのボコボコに足が付いていかなくて、点字ブロックの上で転んでしまって、あのボコボコにすごく痛い思いをしたりとか。あと、階段は結構上り口と下り口に必ず点字ブロックがあって、最近ステップというか、階段のステップのところにも、点字ブロックみたいなものがやっぱ付いている、滑り止めみたいなのが付いていて、やっぱそういうのに足を取られてしまう感じで階段を上るとき、上りのときもつまずくし、下りのときは結構階段から落っこちてしまう危険性があったので、もう常に手すりをつかまって階段の上り下りをしたりとか。あとはエスカレーターとか、エレベーターがあるところはそういうところを利用するとか、していて、無意識に階段を見ると歩く速度が遅くなっていき、点字ブロックをまたいで階段を上ったりとか、結構自分の中でこう、し始めていると、人通りの多い駅なんかだと、「若いのでとっとと歩けよ」みたいな感じで結構舌打ちされたりとか、何かにらまれたりとかっていう、すごく嫌な思いをしながらも、でも、もう副作用でそれに合わせて歩いたら、自分が怪我してしまうので、もう気にしないようにして、歩いてました。
*ECとは抗がん剤の多剤併用療法で、ファルモルビシンの一般名塩酸エピルビシン(E)とエンドキサンの一般名シクロホスファミド(C)の頭文字をとった略称です。
インタビュー41
- 自己検診のやりかたをバイト先で教わり、偶然しこりを発見した
- 説明された抗がん剤治療の内容はガイドラインと同じだったので、迷いなくやることに決めた
- 腕が重だるくなってきたときは心臓より高くするようにして、バッグも手で持たないですむように、ショルダーバッグにしている
- 抗がん剤治療で爪が黒く変色し、物が当たると激痛があり、出血したり剥がれたりしてしまうので、ガーゼで爪を保護していた
- タキソテール2クール目から手足がしびれてきて、物を落としたり、こんにゃくの上を歩いているような感じがしたりして、点字ブロックに足を取られて転んだこともあった
- 抗がん剤のあと、ハーセプチンだけの点滴になり1年間の予定で治療をはじめた。アレルギー症状で発熱や頭痛が続いたが、1年間続けることができた
- 髪の毛が抜けたあと、毛糸の帽子だとチクチクして痛かったり、バンダナも結び目があたったりしてよくなかった。病院で買った綿素材で、縫い目の少ない帽子がよかった
- 医療職に就きたいと思って資格もとったが、面接を受けに行って病名を伝えると、断られることが多い
- 退院後、おしゃれをしている同世代の友人と会ったり、テレビで女優を見ると、自分との差を感じて、生きているのが辛く、自分の殻に閉じこもっていた
- 乳がんとわかり、彼氏に別れを告げられた。これから自分の病気をちゃんと受け入れてくれる人が現れるのか不安になる
- 手術したらもう治ったと思われて、わかってもらえず辛かった。「乳がんに気を付けてね」と言っても、友だちも20代で若いので自分のこととして捉えてくれないのが悲しい
- 将来は結婚して子どもを産みたいと思っているが、妊娠・出産については治療の影響があるかもしれないと心配している