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診断時:37歳
インタビュー時:42歳(2008年7月)
東北地方在住。乳がんで母親がすでに他界し、父親と2人暮らし。34歳頃から左右の乳頭からの出血があり、父親の勧めで受診。2003年秋に両側乳がんと診断され、両側乳房全摘術、術後化学療法、ホルモン療法を受けた。発症時は飲食店に勤めていたが、現在は退職。父親も脳梗塞と大腸がんを患っており、現在は生活保護による医療扶助を受けている。
語りの内容
――腕の上がりとかはどうでしょう?
腕はもう完璧に上がります。はい。
――そこにいたるまでは、ご苦労されましたか?
3~4年かかりました。もう、何て言ったらいいのかな。今まで、三つのことを同時にできていたのができないんですよ。で、私、最初、コンビニにアルバイト、社会復帰のつもりでアルバイトしたんですけれども。パソコンもそうだけれども、手が動かない…動かない。それで、初めて愕然とした覚えがありますね。もう、ちょっとこれは、ああ、手術前と後ではここが違うんだっていうのが分かりましたね。
――腕が上がらないというだけでなくて使いづらいっていうこと…?
そう、そう、そう。今まで、こう1人三つのことを、ぱっぱっぱっぱっぱってやっていた自分が、それが私の自慢でもあったわけですよ。それが、前、例えばこうパソコン打つにも、最初、指が動かない。これができなくて、ここ、これ、指1本で(笑)、…そして、ようやくこう指がこう動くようになってから、これがこうできるようになった。レジもそうだったんですよ。レジをこうぱっぱっぱっぱってできていたのが、こういうふうな感じで。そこが、こうリハビリ…テーションっていうのが、こう、あんまり、そうですね、こう、自分でやらなきゃならない病院でしたので。病院によっては、こう、集団でこう一生懸命リハビリする病院もあるみたいですけども、でも、自分で、こう手を動かしたりなんだりしなくちゃいけなかったんです。それ以上のことは、やらなかったからかなってのもあるんですけれど。でも、でもね、みんな、そうでもないみたいで、普通に、温存の人は、温存の人だからっていうこともないんでしょうけども。温存の人っていうのは、普通に仕事に復帰しているところにいると、ちょっとそういうところが悔しいなっていう感じしますけどね(笑)。なんか、ちょっとこう立ち直るのに時間がかかったというか。
インタビュー21
- 10代でしこりに気づき、30代になって乳首からの出血があったが、こんなに若くして乳がんになるはずないと思っていた
- マンモグラフィのあと、超音波検査、そして、念入りに触診が行われた
- 腑に落ちないまま、後で後悔することのないようにセカンド・オピニオンはとっておいた方がよい
- 本当は乳房再建したいと思っているが、今は限りなく本物に近い人工乳房を買って、温泉に行くときには貼りつけている
- 病院でのリハビリ指導がなく、一人でやらなくてはならなかったが、最初は指も動かなくて、腕が完全に上がるようになるには3~4年かかった
- 入院中に腕に軽いむくみが出て、しびれや虫が這うような痛みを感じるようになった
- ホルモン療法で更年期症状が出た。また社会復帰しても思うとおりに体が動かず、うつではないかと気づき、精神科にかかった
- 抗がん剤の副作用の軽減のためにアガリクスをしばらく飲んだが、サプリメントの摂り過ぎで劇症肝炎になった例がある(※)と知ってすぱっとやめた
- 心と体は一つととらえる立場から、ストレスをなるたけ軽減しようと思っていて、酒も飲み、食べたいものも食べ、言いたい放題、やりたい放題している
- 父も脳梗塞で入院してしまったので、知人に入院時保証人になってもらって手術を受けた。しばらく働けないので、この先の治療や生活を考えて医療扶助(※)を受けることにした
- 独身女性の自分にとって乳房のないのは死活問題だと思う一方、乳房を取ったことで本当の運命の人に出会えるかもしれないとも思う
- 告知に同席した父親は強いショックを受けたようだった。2週間あまりして脳梗塞で交通事故を起こしたのはそのせいかもしれないと思う