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診断時:77歳
インタビュー時:83歳(2009年5月)
近畿地方在住。2002年9月、左乳房に小さなしこりを感じ、受診。乳がんと診断され、左乳房切除術、リンパ節郭清と術後5年間ホルモン療法を受けた。手術後、半年で介護中だった夫を見送った。 診断時、夫と2人暮らしで、同じ敷地に息子家族が住んでいる。
語りの内容
病院でね、リハビリに1回行ったんです。したら、あのー、先生がね、入院中に、ほんだら、「いや、これやったら、あんまりリハビリせんと済むな」っておっしゃってくださったんだけど、やっぱり無理をしたからだと思うんです。ほれで、私、これやったらいけない思ってね、向こうで、病院でしてたようにね、自分でこの竿を持ってきてね、この竹竿を、このカーテンレール吊るしてね、ほれで、そこから向こうでしたように、紐を吊るして、(腕を上下させて)こうしてしてたんですよ、リハビリを。そうしたらね、余計痛くなってね。
今度はね、ほんで、あのー、主人が寝ててもえらい心配するものですから、嫁にタマネギの苗を買ってきてもらってね、植えたり、何かしたんですよ。ほしたら、もう痛くて痛くてね、今度、神経痛みたいになって。もうこの辺までね、びりびり。ちょっと動かしただけで、もう夜、眠れないんですよ。痛くて、腕の置き場がないんです。いや、こんな、いつまで続くんかな思ってね。そのとき、いやあ、周囲に誰か、こういう経験のある人がいたら知りたいのになあ思いました。それで、私、もうあとね、こないして、こういう方のために何か、あのー、お力になれたらと思って、これを申し込んだんですけれど。
本当にもうあのときはつらかったですわ。もうね、腕の置き場がないんですよ。もう上へ上げてもね。で、バスタオルをね、何して、少し高くして、したら楽やいうて聞いて、そんなしても動けん、痛くて。下へ下げても、おなかの上に置いても、どうしても痛くてね、ここまでびりっと、神経痛みたいに。それでね、こうして、こう支えてね、枕の上にこう手乗せて、こういうふうにしたら割に楽でしたね。それが何ヶ…。1ヶ月、何ヶ月ぐらい続いたでしょうか。で、私、これでは困るから思ってね、ほれで、主人が、あのー、酸素吸入をするようになったんですね。ほいで、あのー、それで、少し楽になったのか、主人、夜、寝ましたんで、私も眠れたんです。それで、それから私ね、あのー、もう今からだったら20年以上になりますけど、ウォーキングをその自分で10年来、続けてたもんですから、少しね、歩いてみたんですよ。そしたらね、どうもないんですよ。ほいでね、いや、これやったら、これをして治そう思ってね、私、こんなして、両手をこうしてね、あのー、振ってね、歩いたんです。ほいで、ウォーキングね、同じ歩くんだったら、一番正しい方法で歩こうと思いまして。そうしたらね、だんだん、少しましになってきました。
インタビュー49
- 手術前日に入院した。点滴で麻酔の薬を入れられたときロケットが白煙をあげて飛びだすような強い痛みを感じた
- 手術が終わって、脇の下の痛みで目が覚めた。集中治療室では面会制限があり、家族がすぐ出てしまったので、さみしくて心細かった。そのうちに両足のかかとが痛くなった
- 手術当日の夜は、腰やかかとが痛いし、自動血圧計やたくさんの管がついていて全然眠れなかった。寒気がでたときに看護師に思うように対応してもらえず、長い夜だった
- 退院後、家事や夫の介護、リハビリをがんばりすぎたせいか、腕が痛くてつらくて、同じような人の話を聞きたかった。ずっと続けていたウォーキングを再開したら、少しずつよくなった
- 雑草をいじって腫れたことがあり、また腫れないよう手術した方の手はなるべくかばって生活している。不自由だが仕方ない
- 術後6年経ち、定期検診の間隔をあけてほしいと医師に話した。健康のため、体を動かし、よく噛んで食べ、明るい気持ちで嫌なこともいい方に解釈している
- がんと知らされたとき、病気の夫のことが頭をよぎり、泣けてきた。夫にはすぐに知らせず、入院4-5日前に乳がんで入院するけど大丈夫だからと伝えた
- 病気の夫に心配をかけていると思うと涙が出た。入院中は嫁や孫が代わりに夫の世話をしてくれたが、退院後は自分で家事も介護もやらなくてはならなかった