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診断時:49歳
インタビュー時:54歳(2008年2月)
首都圏在住。2002年に右乳房温存術を受けたが、断端にがんが残っており、追加で乳房切除術を受けた。3年後に乳房再建術を受け、現在はホルモン療法を継続中。夫と2人の子どもがいる。非常勤特別職員(生涯学習推進員)として仕事を続けている。
語りの内容
それで、2回目の、断端陽性ですか。あのー、一番端っこに、がんが取り切れなかったっていうことで、先生からご説明あったときは、正直言って、「何で?」って思いました。「私、何も人に悪いことしてないよ。それなのに、何でこんな仕打ちを神様」、あの、私、宗教やってないですけどね。「そんな…ことをされなけりゃいけないの。この世で何でそんな助けてくれないの。何で私がこんなつらい目に遭わなきゃいけないの」という、本当に何か、世の中から見離された感じでした。頭から、何かドーンと。やっと手術で退院できると思った矢先に血液が噴き出して、それはまあ、いたしかたないことと思っても、もう一度手術というのは本当にね、言われないショックでしたね。もう一度ゼロに戻ってしまう、ことですから。
先生から「お話があります」といったときには、まあ、それなりの、「ご主人、早急に呼んでくれ」ってときには、何か相当のことだなと思いました。それで、看護婦さんが、「一緒にお話聞いてあげるから。一緒に立ち会ってあげるから」って言ったときに、「ん?これはもう何か相当だな」って思ったんですね。それで、主人と一緒に行ったら、私は、正直言うと、そのときに「抗がん剤を使いたいから」っていうお話かと思ったんです。まあ、リスクが、アレルギーというリスクがありながら、まあ病気の、浸潤性小葉がんという、あの、病柄(びょうがら)から、それはやむを得ないから使わせてほしいってことかなと思ったんですけれど、「もう一度、申し訳ないけど再手術」と言われたときには、もう本当に、もう言葉出ませんでした。
インタビュー04
- 医師に「細胞診」と言われても、「疑わしい」と言われても何が何だかわからなかった
- 病理検査で断端陽性という結果が出て、「申し訳ないけれど再手術」と言われたときには「何も悪いことしてないのに、何で?」という気持ちになった
- 術前からリハビリの体操をしておくと術後の経過が違う、と本で読み、手術前から腕を動かす練習をしていたおかげで、術後の腕上がりは支障がなかった
- 小さな傷が化膿してリンパ浮腫を引き起こすことがあるので、やけどや虫刺され、注射にも注意しなくてはならない
- もともと大きかったほうの乳房が残ったので、体のバランスが崩れて姿勢が悪くなったことに加え、物事に対して卑屈になってきたので、乳房再建をしようと思った
- 以前に婦人科の手術を受けていたので、自家組織を使うより体への負担も少ないということで人工物を入れる方法を選んだ
- 最初はエキスパンダーという水風船のようなものを入れて、3週間かけて少しずつ生理食塩水を注入していった。その間に反対側の乳房の吊り上げ手術も受けた
- エキスパンダーを入れてから1年半くらいして、アメリカからシリコンジェルを取り寄せて入れ替えをした
- ホルモン療法は体中に散らばった微小のがん細胞を抑えるための治療だと説明された
- ホットフラッシュに備えて暑くなったらすぐ脱げる服を着たり、陰部の痛みには自転車に乗るときにナプキンを当てたりして工夫した
- 退院と同時に脳梗塞で入院中の母親の介護、その後、交通事故で長期入院を余儀なくされた娘の看病と、自分の体に無理を強いなくてはならない日々が続いた