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診断時:42歳
インタビュー時:56歳(2008年8月)
北陸地方在住。1996年春、左乳がんを診断され、左乳房切除術+腋窩リンパ節郭清、同時に、腹直筋皮弁による左乳房再建術を受けた。術後合併症として、腹部創の離開を起こし、傷が治るのに2年近くかかった。当時は両親と3人暮らし。仕事は自宅で音楽教室講師をしており、術後3ヶ月後に復帰。
語りの内容
退院しまして、退院の、えー、1週間経たなかったと思いますが、ボッコンと開いたんですね、傷が、あらっていう間もなくうわっと.。それから膿が出てきたんですね。で、そもそも、入院のときも、ガーゼ交換っていうのは、何回かね、決まっていたんですけど、そのところの傷口が、あの、とにかく開いて、汁、膿、膿みたいな黄色い汁が、出てきたんです。こういうのは、全く聞いていなかったもので、とにかく、電話をしまして、そして、その前にも少し、まあ、手術のあと、休暇してそこから一泊、ホテルで泊まって、そこから病院へ行って…。だから、早かったと思いますね。あの、退院してから、すぐ、1週間か2週間以内だったと記憶しています。
少しずつ、ひどいときは、何時間ごとにガーゼを変えるんですね、1日に、あ、何か、あ、何かどうかなって。だから、常に状態を見ている。それが、きれいに、全く、傷口がつまりふさがったということではないかと思うんですが。あの、汁も、(ガーゼを)変えなくてもいい。つまり、その状態が、まあ、1日何回かしていたものが、少しずつ、「あ、1回でいい」とか、「あ、よくなった」って、まるまるっていうことで、まあ、そのしっかりと、きっちりと(完治したのがいつか)、っていうのは、よくわからないんですけど。とにかく、汁気(しるけ)の(ために)常に、お腹のとこに(貼る)テープとガーゼと、持っていまして。常に、合間に、今は出ているかどうか(を確認する)という、そういう状態を、あの、何年も(経験)した記憶が思い出されます。
インタビュー31
- 市の検診(視触診)では異常がなかったが、胸の痛みが気になり、受診した (音声のみ)
- クールに淡々とがんであることが告げられたが、人生が終わりのように感じられて、1週間くらい涙の枯れない眠れない夜を過ごした (音声のみ)
- 乳首の近くの小さながんのために乳房を全摘するのは、女性として割り切れない思いがあり、医師たちの再三の説得にもかかわらず、再建を強く希望した(音声のみ)
- 退院後1週間ぐらいで腹直筋皮弁法でできたお腹の傷が開いて黄色い汁が出てきて、それから2年近くずっと、毎日ガーゼを当てては取り替える日々が続いた (音声のみ)
- 腹直筋皮弁による再建術の後は、お腹から胸にかけて全体がしびれているようで、寒さにとても敏感になった(音声のみ)