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診断時:50歳(2007年5月)
インタビュー時:58歳(2015年5月)
首都圏在住。先天性のろう者で、夫と娘の3人暮らし。自分でしこりを発見したが、父の看病で忙しく、1年以上経ってから病院に行って左乳がんと診断された。術前抗がん剤治療、乳房切除術、放射線療法、抗がん剤の内服治療を受けた。外来受診等は手話通訳派遣制度を使った。
語りの内容
もう一つは、手術の時。うーん、ちょっと、朝でしたかね。朝、10、9時かな。9時、手術の時にそう言われましたよね。それで準備しますよね。もちろん、(手話)通訳は、その時は来てくれます。家族も来てくれます。で、通訳の人が来てくれて、手話で情報を教えてくれます。それから手術室に運ばれますよね。そこまでは、通訳してもらえます。
でも、手術室に実際に入ったあとは、もう通訳は一緒に入って来られないので、もうまったく(情報は)ないですよね。手術室の中では、看護師さんがいますけれども。前、その前の夜でした。看護師さんと、手術担当、あと麻酔の先生が来てくれて、細かい説明してくれたんです。「コミュニケーション、どうしましょうか」なんていうかたちで、紙に、こう書く。「そういう準備をします」とは言ってくださいました。紙に書いて準備をしてくれました。「これから麻酔を入れます」とか、「これから何をやります」っていうようなのを書いてくれて準備をしてくれたので、わかりましたけれども、手術室に入って、やっぱり緊張しますよね、ものすごく。紙、寝てるところに、紙をバッと出されても、なんか、次々めくられても、「あ、ちょっと待ってください。さっき、なんだったかしら」なんて、やっぱりちょっとわからないまま進んでしまった。で、あっという間に寝てしまった。麻酔が効いてしまって寝てしまったっていうような感じでした。
うーん、ま、確かに、心の準備ですね。これから何をやるってことがわかれば、もっと安心できたと思いますけれども。やっぱり、紙に書いてくれても、すぐにこう、読めないんですよね。次々とめくられても、やはり、なかなか自分で読み取ることも難しいし、そのあと嫌になってしまって、「どうでもいいです、お任せします」なんていう気持ちになってしまったんですね。その時、手術の時は、やはり手話できる人が誰かいれば、「これから、これやりますよ。次、麻酔なりますよ。次に胸を開きますよ」みたいな感じで、これから次のことを言っていただければ、手話で見られれば安心できたんだけれども、いや、そこまでは、やはり難しかった。なかったですね。やっぱり、それはちょっと残念ですね。
とにかく、まあ、結果的には成功したわけですから、それはいいんですけれども、今思い出すと、細かいところがわからなかったな、通訳があればよかったな、情報保障がきちんとされてなかったっていうようなことを思いますね。
インタビュー53
- 体が疲れやすく変だと思っていたら、左脇の下のしこりを見つけたが、ちょうど父ががんになり、看病で自分のことは後回しとなった(手話・通訳付)
- 女性として乳房切除はショックなことだが、命が優先。年齢を考えても、結婚して子どもがいて、服を着れば隠れるし、再建しなくていいかなと思った(手話・通訳付)
- 術前抗がん剤治療の副作用で吐き気や疲れで辛く、家で寝ていることが多かった。治療が延期し1年かかったが、家族の協力があって乗り越えられた(手話・通訳付)
- 術前抗がん剤治療で効果がなかったので、先に手術すればよかったと思うこともあった。しかし、今、元気なのは目に見えない効果があったと思っている(手話・通訳付)
- 治療を繰り返すうちに副作用のサイクルがわかり、生活のコツをつかめた。副作用の少ない元気な時期は活動的になって貯まった家事をこなした(手話・通訳付)
- 手術室に入るまでは手話通訳がいたが、それ以後は紙に書かれたものを見せられた。緊張もあり、よくわからないまま麻酔がかかった(手話・通訳付)
- 主治医から皮膚移植をした医師が丁寧に縫ってくれたと聞かされていたので、傷跡は想像通り綺麗で、自分としても変な感じがしなかった(手話・通訳付)
- レベル3(※)のリンパ節転移があり、乳房切除後に放射線治療を行った。手話通訳なしで毎日通院したが、看護師と簡単な手話で会話するのが嬉しかった(手話・通訳付)
- 無治療の間は常に再発転移の心配がある。友人に勧められた気功や食事療法をやるか迷い、インターネットで情報を得たが、判断に困ってやめることにした(手話・通訳付)
- 以前、乳がん検診で異常がなく、また行かなくてはと頭にあったが、子どもの世話などで忙しく、行けなかった(手話・通訳付)
- ろう者の場合、相手の言っていることがわからなくて不安になり、検診に行くのを躊躇してしまうが、自分は元気だから大丈夫と思わず、検診を受けてほしい(手話・通訳付)
- かかりつけ医から紹介された病院でマンモグラフィを受け、がんだとわかり、真っ白になった。伝えたときの母のショックを受けた顔が忘れられない(手話・通訳付)
- 皮膚移植のため、術後1ヶ月腕を固定していたので、リハビリが大変だった。回復に1年半かかったが、手話のできる看護師がいて励みになった(手話・通訳付)
- 本当に仲のよい友達4人に話したら、頑張れとは言わず、普通通りに接してくれた。反応はいろいろだが、今は少しずつ周囲の人に伝えている(手話・通訳付)
- がんを知って、周囲から水や薬など高いものをいろいろと勧められるが、「ありがとう。買うときは頼むね」と言ってやんわり断っている(手話・通訳付)
- がんが大きく、トリプルネガティブでリンパ節転移があり、医師に術前抗がん剤治療を勧められた。本で調べてわかっていたので、納得して治療を受けた(手話・通訳付)
- 術後抗がん剤治療を受けたが、肝機能が低下し、倦怠感が辛くて治療中止を決めた。夫は続けてほしかったと思うが、意思を尊重してくれた(手話・通訳付)
- 8年経っても転移の不安はどこかにあるが、体に気をつけて悪いことは考えず、前向きに楽しいことだけを考えて過ごすようにしている(手話・通訳付)
- がんだと確定した後、夫に治療のことを含めて、詳しくわかるように伝えた。夫はとても心配して、上司に相談し、療養中は残業せず、早く帰宅するようになった(手話・通訳付)
- がんだとわかって中学に入学した娘に伝えたとき、「そう」と言っただけで、どんな風に感じのたかわからなかった(手話・通訳付)