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診断時:50歳(2007年5月)
インタビュー時:58歳(2015年5月)

首都圏在住。先天性のろう者で、夫と娘の3人暮らし。自分でしこりを発見したが、父の看病で忙しく、1年以上経ってから病院に行って左乳がんと診断された。術前抗がん剤治療、乳房切除術、放射線療法、抗がん剤の内服治療を受けた。外来受診等は手話通訳派遣制度を使った。

語りの内容

手術したばかりは、1ヶ月間ぐらいは、ガーゼみたいなのがあって自分では見えなかったですよね。手術したあと、3週間、3週間後ですか。ガーゼを取って自分で見ることができたんですね。その時は、まあ、想像通りだったな、と思ったけど、意外と奇麗だったんですよね。手術の跡が。縫い方が非常に奇麗だったんです。細かく丁寧に縫ってあったんで。想像では、かなり傷がひどいんじゃないかと思ってたんですが、奇麗に縫ってあったので。いや、ちょっとわからないぐらい奇麗だったんですね。

だから、うわ、これは不思議だわ、と思って、そのあと主治医に聞いたらば、手術してる間、わたしは寝ちゃってますよね。わかりませんよね。えー、8時間。8時間かかったそうなんですけれども、まず、主治医の先生ががんを取ったのは2時間ぐらい、2時間半ぐらいですかね。その次に、皮膚の移植のその先生が長かったですね。5時間ぐらいかかったということで、本当に一生懸命に丁寧に、奇麗に縫ってくれた。本当に丁寧にやってくださったらしいんですね。だから、時間がすごい長くかかったということで。主治医の先生も、「なんで長いんだろうな、おかしいな」なんて言って、ちょっと手術室に見に行ったりしたぐらいだったんですけども、「あ、今、きちんと奇麗に縫ってるんだ」ということで、家族みんなに、「今、ちょっと丁寧に、奇麗に縫ってるから時間がかかるんです」っていうように説明してくださったみたいです。

だから、5時間以上かけて、ほんとに縫ってくださったということで、その分奇麗だったんですね。自分で見ても、なんか変な感じしなかったんですよね。だから、今見ても、自分で納得できる傷だったんですね。だから、再建は、まあ、もうちょっと考えないというか、いいかしら、っていうふうに思いました。今は、もう主人も娘も、見ても、もう全然慣れてしまって、「(胸が)ない。ふーん」っていうぐらいですね。わたしも、まあ、いいやっていうような感じですかね。そんな状況です。

私は: です。

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