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診断時:50歳
インタビュー時:63歳(2008年2月)
首都圏在住。1994年12月に両側乳がんと診断され、翌年1月に両側乳房切除術、術後抗がん剤治療を受けた。以後、外来にて経過を観察しながら、現在に至る。夫婦2人暮らし。診断された当時はパートで仕事をしていた。
語りの内容
あるとき、ある下着さんのメーカーで、そういう人専門のそういう、あの、下着をね、作るっていうところが、やってくださったところがあって。申し込むと、行って、いつも個室で。別に値段が高いわけじゃないんだけど、体に合ったものを出してくれたり、中のパットとかも体に合ったものをすごく親切に、あれは多分、あの、採算とか、そういうのは別にしてやってくださっているんだと思うんですね。そこはすごく、「ああ、ありがたい。いい会社ね」って思って。まず、行ったのがそこですね、ブラジャー作るとこですね。行ったですね。
ブラジャーのことは、あの、病院ですね、退院する前に病院から、「こういうところにありますよ」って、教えていただいて。そこにお電話して、そこに訪ねてって、行きました。で、あと2~3、別のところもあるらしいんですけど、私はそこの1つのところで、ずっといまだに。でも、最近は、少し慣れてきたもので、あの、一般のブラジャーのパット、袋のあるブラジャーで、一般の軽いものを入れたりもしてますけども。最初はずっとそこでお世話になりました。
インタビュー03
- 過去の経験から病院・医師選びに慎重だったが、先生の目や表情という第一印象でピンときた
- 両側の乳房切除手術だったので7時間くらいかかったようだが、翌日には歩いて集中治療室から自分の病室まで戻った。術後感染による合併症で1ヶ月入院した
- 病院で下着メーカーの乳がん患者のための相談室を紹介されて訪ねていったところ、値段も手ごろで自分に合ったものを作ってもらえて、ありがたかった
- 術後しばらくは縫った後の傷がジュクジュクしたり、胸に鉄板を巻きつけたような感触が残ったりした
- 初めは腕が上がらず、むくみも出ていたが、腕が壁伝いに1センチずつ上がるようになって、半年くらいでよくなっていった
- 胸がないからといって「女じゃなくなった」とは思わなかったし、再建したら検査もしにくいだろうと思った
- 以前からとても信頼していた皮膚科の医師に、患者の尿の成分を転写して作るという「情報水」を勧められたので1年半ほど飲んだが、効いたかどうかはわからない
- 子宮筋腫と乳がんで子宮と胸を取ったとき「女だって言うものが何もないじゃない」と言われたことがあったが、子どもも産んだし、「ないから何なの?」と思った
- 発症当時大学生だった娘たちは、女性としてこれから乳がんになる可能性もあるので、自分がここで元気にならなければ不安を与えると思い、がんばって治療に臨んだ