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インタビュー時:45歳(2014年12月)
疼痛期間:約22年
診断名:腰椎椎間板ヘルニア
北海道在住の女性。看護師として働いているとき、重い酸素ボンベを運搬したことをきっかけに以前からあった腰痛が悪化。2回の髄核摘出手術を受け、その後も医療機関を転々とした。入院中に参加した患者会で、「痛いから痛い」と痛みにとらわれるのではなく、考え方の方向転換をするきっかけを得た。現在、信頼のできる医師との出会いを機に、鎮痛剤の過剰服用もやめ自己調整できるようになり、休職中に整体師の資格を得て就業したが、復職と退職を繰り返し10年ぶりに夜勤のある看護師に復職している。
語りの内容
うーん。まあやっぱり入院をして、牽引をしてましたけども、やっぱり重量自体が4キロとかも牽引できなくて、2キロも無理、1キロも無理な感じになっていって、もうきっと自分は何をやってもたぶんだめなんだ、痛みに対しては全然だめだよ、ということでちょっと入院中に(薬を)ため出して。担当の看護師さんともうまくいかず、もういいよ(笑)、どうでもいいよっていう部分になって、それでため込んで、ため込んで、自分の必要な感じで飲んでいったというのが最初ですかね。
その重くなり出して5年とか6年ぐらいたってからでしょうかね。きっとたぶんその辺りは、結局やっぱり夜も寝れないんで、ハルシオンもため出したり、何だりをしていって、それ、そのうちそれじゃいかんっていう話に、えー、なって…。それで麻酔科の先生を紹介され、え、ペインクリニックに通い出すようになって、それで、まあ薬とはいったん縁、全部切れたんで。
―― 今思うとそのときの、まあお気持ちっていうのは、何でそのため込むっていうことをされたのかなって。
それ自体は、やっぱり1回量、決まっただけのミリ数しか手元には来ないっていう部分で、多少痛みのリスクをあっても、やっぱり2回分まとめて飲むみたいなところですか。ミリ数を、1回のミリ数を多くして飲むっていう部分でため込んだんでね。たま、たま、まあそういう薬剤系の本も好きで見てて、1回分は、ここまでミリ数、致死量じゃないんだっていうのを調べて調べて、それでためて飲んでたっていう感じですかね。…やっぱり痛くて、やっぱりどうしても寝てる間、寝返りが打てないっていうのもありましたし、痛くて結局何回も覚醒しちゃうんで。そこで、もちろん痛み止めもためましたし、眠剤もためましたし。
「いや、実はこうこうこうだよ。ためてた」っていう話を、こちらからオープンにして。結局そのときに先生と、「どうして?」って、今、経過でしゃべってた感じで、「いや、リスク背負っても、やっぱりどっかでため飲みをして少しでも寝たい」ということで、「わかった」ということで、そこから、まあ、ドクターショッピングもせず、その先生が転勤になるところ、なるところを追っかけていくっていう感じで今に至ってる感じですかね。それで、そのときの経過があるんで、まあ今は痛み止め3種類を、出してくれてて、それを必要なときに必要だけ飲むっていう感じで、もちろん先生からも、「作用機序が3つとも全部違うから好きなように飲んでいい」と。「もう当時みたいな、あほなことはしないで(笑)しょう」っていうことで。
インタビュー06
- ラッシュ時は、人に押されて身動きが取れず、痛みが増すので、公共交通機関は空いている時間帯しか利用できない
- 最初はこの痛みは一生取れないのかと思って焦ったが、次第に自分で何とかして10の痛みを0にするのではなく8にしようという方向に考えが変わり、整体の勉強も始めた
- 重いものを持ちあげて腰を痛めたあとは湿布薬やボルタレンの座薬や飲み薬を使って5-6年は様子を見ていたが、次第に効かなくなって手術を選んだ
- 今はリリカ、セレコックス、トラムセットの3種類の薬をその日の体調に合わせて組み合わせ方を変えて飲んでいる。痛みはゼロではないが半分程度になっている
- 痛みが強いときにため込んだ痛み止めや睡眠導入剤をまとめ飲みしていたことを主治医に話したところ、作用機序の違う3種の薬を組みあわせて飲むよう処方してくれた
- 入院中たまたま参加しはじめ、半信半疑で週1回、3カ月ほど参加した患者会。そこで学生から聞いた痛みのとらえ方の話が、考え方を変えるきっかけになった
- 整形や麻酔、リハの医師やスタッフ、学生など、院内のほとんどの職種が都合のつく限り参加する患者会で、ざっくばらんに話ができた。おかげで今、仕事に復帰できている
- 術後に整体師の勉強をするうちに自分の体の中心バランスが悪いということに気づいた。ナースの仕事に戻ってからも筋肉が堅くなる前に整体師仲間にほぐしてもらっていた