インタビュー時:40歳(2015年8月)
疼痛期間:20年
診断名:線維筋痛症
東北地方在住。看護師だが、現在は無職。20代からあった腰痛が次第に全身に広がり悪化した。ペインクリニック、整形外科、心療内科などを転々とし、地元に戻ってから、心療内科でうつと線維筋痛症の診断を受けた。1年前に都内の専門外来を受診。痛みの原因が体の病気とわかって安心したが,治ることはないのかと思うことがある。
プロフィール詳細
お風呂で温めたり、ストレッチをしたり、生活上の工夫をしていたが、体調が悪化して働けなくなり退職した。資格を取る勉強をしたあと看護師に復帰し,4年前に地元に戻ったが,症状が悪化し退職した。次第に体が動かなくなって階段も手足をついて降りなければならなくなった。内科や整形外科では検査しても異常が見つからず、心療内科に通い始めた。そこでも納得できる病名がつかなかった。異常な不安感や頭痛がひどくなり, 3年半前に受診した心療内科で線維筋痛症とうつと診断された。
痛み止め,抗不安薬,抗うつ薬を処方されたが,痛みはさらにひどくなった。治療に不安を感じたが,医師が他の患者のことを「薬を途中でやめるなんて根性が無い」と話しているのを聞き、我慢して治療を続けた。
内服薬に加え,トリガーポイント注射(※3)を2年間受けた。注射すると筋肉が固くなっているのは取れても、注射の痛みが引き金となってかえって痛くなった。すくみ足、震え、寝ていても顎がガクガク動いたり足がバタバタ動いたりするなど、痛み以外の症状が出るようになり、本当に線維筋痛症なのかと疑心暗鬼になり、医師との関係が悪化して診療を拒否されたこともあった。
インターネットで日本線維筋痛症学会診療ネットワークを検索し,都内の専門外来を見つけた。1年前から3カ月に1回通っている。そこでは、線維筋痛症に加え、アイザックス症候群(※4)とかスティッフパーソン症候群(※5)などの筋肉の病気も否定できないと言われた。現在まで確定診断はついていないが,筋肉の緊張を緩める薬を飲み始めて、少し楽になってきた。
これまでずっと精神的な病気といわれ続けてきたものが、体に原因があるとわかり、やっとまともに診てもらえているという安心感を得られた。一方で、20年近く自分の気持ちの問題だと思って、痛みを我慢して頑張ってきたのはいったい何だったのだろう、という思いになり、前向きに闘病する気になれない。今でも薬をもらうために地元の病院に行くことがあるが、そこでまた精神的な病気と言われ、また痛みやだるさがひどくなる。経済的なこともあり、いつまで都内の病院に通えるか不安がある。
多少良くなったとしても、このまま治ることはなく、たぶん一生、痛みやだるさは続き、つき合うことになるかもしれないと絶望を感じることもある。かえって一番悪いときには無の状態で治りたいという気持ちを持っていた。本気で仕事をしようと思い、資格のために勉強していた頃は夢もあり自分を肯定できたこともあった。今はただ目の前の些細な楽しみを糧に日々暮らしており、また希望や夢を見つけられたらと思っている。
※1 脳・脊髄は脳脊髄液(または髄液)という透明な液体の中に浮かんでおり、硬膜という丈夫な膜で包まれて、外部衝撃から保護されています。髄液は脳室内で産生され、くも膜下腔を循環して再び静脈系に戻されます。通常、髄液の量や圧は一定に保たれているが、何らかの理由で髄液の漏出や産生減少が起こると頭痛・めまいなどの症状を起こします。
参考情報:(http://csf-japan.org/japanese/about.html )
※2 ブラッドパッチ療法とは、何らかの原因で硬膜に欠損を生じて髄液が漏出しているときに、硬膜外のスペースに自家血液(20~30cc)を注入して膜欠損部を癒着させ漏出を止める治療法。適応選択と効果に関して議論はあったが、平成28年4月からは保険適用が認められました。診断基準と適用:(http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002aqry-att/2r9852000002as23.pdf )
※3 トリガーポイントとは、圧迫や針の刺入などによって関連域に痛みを惹き起こす体表上の特定部位を指します。そこに局所麻酔を行うことで痛みを緩和することをトリガーポイント注射と呼び、指圧や灸などでいう「つぼ」もこの原理を応用したものと言えます。
※4 筋肉の硬直、けいれん、ミオキミア(波打つ様な筋の動き)に加えて疼痛、自律神経症状などを伴う病気で、原因としては末梢神経軸索の過剰興奮によって引き起こされる神経筋障害。詳しくは(http://www.nanbyou.or.jp/entry/5508)を参照。
※5 スティッフパーソン症候群は、自己免疫疾患の特徴をもつまれな神経系障害です。騒音や皮膚刺激などが引き金となって筋肉が硬直し、歩行や移動も困難になり、外出も難しくなることがあります。これらの症状は中枢神経系の抑制性神経伝達の障害よって起きると考えられています。
インタビュー20
- 以前は完全な健康体を目指していたが、10年スパンで見ると結局悪化していて、元気でバリバリ働くのは絶対無理だとわかった。たぶん一生つきあうんだなという覚悟は出てきた
- 外出すると全身が痛くなるが、たまにスーパーで5分ほど買い物をするのが楽しみで唯一の社会参加なので頓服をつかうなど工夫して、できることを最大限しようと思っている
- なんとか身のまわりのことを自分でやりつつ、掃除は頻度を減らしたり、簡単にできる方法でやっている。食事をつくることで家族内での自分の役割を感じることができる
- 痛みがあっても何かできたというのがないと何もない人生になってしまう。翌日具合が悪くなるリスクがあっても、自分ができる小さなことを最大限にやろうと思っている
- 今は一番の楽しみがテレビ。好きなタレントが出る番組や映画公開を楽しみに生きている面がある
- 常勤のときには、休職中でも傷病手当金でなんとか生活できたが、アルバイトを始めると体調次第で収入が減るので親からの仕送りが必要になる
- (うつ病と診断されていたので)障害年金をもらうことができたが、痛みをもちながら手続きをすることはとても大変で一人ではできなかったと思う
- 線維筋痛症で2年近くリリカなどの鎮痛補助薬を飲んでいたが、さまざまな副作用が出たので、今はトラムセットがメイン。痛みはなくならないが、副作用が少ないのがいい
- 診断がつくと安心するが治療してもよくならず疑心暗鬼になる。新たに神経難病の疑いがあると聞き、気持ちの問題ではないとわかったが、すっきりせず前向きになれない
- 認知行動療法など心理学の本を読み、健康法や民間療法も色々試したが結局成果は出ず、身体も動かず無理だと感じ、熱心にしなくなったら身体が楽になった
- 自分の痛みを伝えても話がすり替わったり、簡単に結婚や出産のことを言われると傷つき、それが怒りに変わってしまうので友人を拒絶するしかなかった
- 寄り添うのは援助する側の自己満足のケースが多いと思う。本当に手助けしてほしいところに具体的に手を差し伸べてもらえるのが一番ありがたい
- 新しい薬を出されて合わないと思ったときに自分で計画的に減らして飲んだり、以前に効いた薬を出してくれるように要求したりしていたら、医師との間に溝ができてしまった