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インタビュー時:44歳(2015年6月)
疼痛期間:5年
診断名:線維筋痛症
関東在住の女性。看護師。 2010年夏に全身に強い痛みが発作的に出るようになった。線維筋痛症と診断されるまで半年もかかり、治療を開始したが効果がなく医師にさじを投げられた。その間、痛みのために退職し、自宅に閉じこもる生活を送っていた。しかし、同病者のブログをきっかけに海外の治療などを調べ、現在のペインクリニックの医師や漢方医にたどり着き、2か月ほどで徐々に痛みはよくなった。現在は、痛みをコントロールしながら、学業と仕事を両立する生活を送っている。
語りの内容
―― その線維筋痛症かも、まあしれないっていうふうに、少し、まあ診断名的なものが言われたときっていうのは、まあそれまでは全く(病名が)わかんなかったわけですよね。
はい。
―― そういった病名が、まあ、ここでは、付き切ってはいないんだけど、そういったことを言われたときっていうか、そういったときには何か、あの、思ったこととかありました?
これで痛みが治るっていう強い期待感があって……、先生のところに通い始めました。もう期待だけでした。もうこれで治る。また普通の日常生活が送れる。経済的にも負担がかからず、普通の日常生活が、送れると信じてました、(笑)。もう期待だけでした。治療、この、うん、線維筋痛症っていう診断名が下されたときは。ちゃんとした治療ができて良くなるって。もうそれだけ…を信じて、うん、治療をお願いしてました。
―― じゃあ、逆にやっぱり何かしらのこう、診断名が、まあ、付いたほうが、まあ気持ち的には少し、あの、楽にというか、そういった印象があったっていうことなんですか。
そうですね、はい。あの、それまでは原因も何もわからない、病名の付かない、確定診断の付かない治療を受けていたので。で、良くならなかったので、医療不信に陥ってました。
インタビュー09
- 布団の重みでさえ痛いということが続き、ずっと不眠でイライラし、家族や職場の人にも八つ 当たりしてしまった
- 線維筋痛症でブロック注射を受けていたが、一定回数を超えると自費扱いになるので続かない。効果が切れれば痛みが再発する。その繰り返しでその場しのぎの治療だった
- 田舎には専門病院がないため治療を続けるためには帰りたくても帰れなかった。親の仕送りでなんとか治療を続けた
- 日常生活に支障をきたすような強い痛みで、「線維筋痛症ではないか」と指摘され、専門医を受診して診断を受けた。リリカを半年飲み続けたが全く効かなかった
- 当時日本ではリリカしかなかったので海外に情報を求め、トラマール、アセトアミノフェン、ノイロトロピンを出してもらって、ペインコントロールが図れるようになった
- 確定診断がつかない中で治療を受け、なかなか治らなかったが、線維筋痛症と診断されたときにはこれでちゃんとした治療が受けられる、治る、普通の生活が送れると期待した
- 自分の思考を変えるきっかけとして臨床心理士を頼った。保険の効かない高額なものはとても無理だと思い、ネットでNPO法人の1回2,000円程度のものを見つけた
- 病気をきっかけに勉強したい気持ちが強くなり大学に編入した。仕事と学業の両立は大変だが先行きの見える人生を送ることができていることに満足している
- 職場では仮病ではないかと疑われ、友人も痛みのある自分とどうつきあったらよいのかわからなかったのかみんないなくなった
- (当時受けていた治療が)「日本の医療の限界」といわれ、自ら海外の文献を検索して新しい治療法を見つけ出し、アメリカでその治療の経験がある医師を探して治療をお願いした