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インタビュー時:40歳(2017年2月)
疼痛期間:8年以上
診断名:頚椎症。
首都圏在住の男性。パートナーとその家族と同居。勤務医を経て大学教員となる。脳性麻痺という生まれつきの障害をもっており、車椅子の生活である。書籍の執筆が大学の仕事と重なったことで、左側の首、肩、左手小指にかけての強烈な痛みと痺れが出た。自分の研修医時代をよく知る医師に診察を受け感情を吐露したことで、痛みが和らいでいくことを経験し、現在は当事者の視点から痛みの研究に取り組んでいる。
語りの内容
もう何事もなく、こう、一患者として診察が終わればいいなというふうに思って、こう小さくなってたんですけど、そんなことは叶わずですね、私もその車いすを使った――あの、乗ってたので、学生時代から目立ってたので、「ああ、あなたですか」という感じで(笑)、すぐにあの、人物が同定されてですね。「どうですか、最近は」みたいな話から始まって。何だかその、「あ、もう自分の弱いところも含めて、顔が割れてしまった」というのがきっかけになって、一気に何か、せきを切ったようにですね、あの急に私、話し始めちゃったんです、いろんなことを。
というのは、その、卒業してどういうふうに苦労してきたのかとか、その臨床をやりながら、あの、自分は障害を持ちながら医療的な、あの、診察をですね、やるときの苦労話とかですね。あるいは、そこでのその挫折の経験ですとか。とはいえ、いろいろな人に支えられて、何とかそれなりに私自身の臨床スタイルをつくり上げたこととか、そういうことを。つまり痛みとは一見して関係のない話ですね。私のナラティブというか。卒業してからずっと、あの、あまりこういう話って人とシェアしにくいというか。医療者の何ていうんでしょう、苦労話って、まあ医療者同士だったらできる部分もあるけれども、私は障害を持ってる医療者なので、ちょっと状況も特殊でなかなか話す機会がなかったような。さまざまな葛藤ですとか、傷つきですとか、そういう話を何だかせきを切ったようにしゃべってしまったんですよね。それをその担当医が黙って聞いてくれて、ひたすら、「ふん、ふん」って、あの、うなずいて聞いてくれてですね、これまでと同じように非常に丁寧に診察をしてくれて。
で、最後にあの、見立てを、そのアセスメントをおっしゃったんですけれども。それはその、今までの2軒のドクター、そのそれ以前にかかってたドクターと結果としては変わらなかったんですね。様子を見ましょうというふうな方針だったんですが、最後に一言その先生が、そのあの、「また何かあったらいつでも来てください」と。「うちの科を上げて、全力で応援するからね」っていうふうなことを一言、言ってくださったんですね。で、あの、すごくこう心が温かくなったというか、ちょっとあの、目頭が熱くなったというか。という経験をして、翌日からすごく痛みが取れたんですよね。
それ以来、何かこう、気にならなくなったというか。痛みはあるけど気にならないというふうな状態が始まって、もうすぐに首のカラーも取って、痛み止めもやめて、で、日常生活に戻っていったというふうなことがありました。で、今に至るというか。それ以来、今も痛みはあるんだけど、あの、何ていうんでしょうね。So whatというんでしょうか、そのまま暮らしているという感じが今まで続いてますね。
インタビュー38
- 疼痛緩和で薬物を使い始めた依存症当事者グループの人たちは薬に頼らず痛みを治す知恵を持っている。彼らと痛みで外に出られない人のためのSkypeミーティングを開きたい
- 痛みが生じるメカニズムには侵害受容性、神経障害性、中枢機能障害性の3つの分類がある。慢性疼痛の多くは3つ目がかかわっており、痛みの緩和が難しい状況にある
- 自分が医師として診療にあたるときも、症状の「意味」を徹底し、診察が楽になったが、その一方で物語を変えるタイミング、その伝え方の難しさを感じている
- 痛みをきっかけに、研究の軸足を基礎医学から自分の体験を元にした当事者研究へと移した。痛みは「あなたの物語についていけない」と身体が教えてくれる、意味あるもの
- 古巣の病院で自分の臨床での苦労話を、せきを切ったように話した。担当医はただ頷いて聞いてくれた。前医と見立ては変わらないのに、以降は痛みが気にならなくなった