※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
インタビュー時:40歳(2015年8月)
疼痛期間:20年
診断名:線維筋痛症
東北地方在住。看護師だが、現在は無職。20代からあった腰痛が次第に全身に広がり悪化した。ペインクリニック、整形外科、心療内科などを転々とし、地元に戻ってから、心療内科でうつと線維筋痛症の診断を受けた。1年前に都内の専門外来を受診。痛みの原因が体の病気とわかって安心したが,治ることはないのかと思うことがある。
語りの内容
昔とかの子どものときとかを知っている人、健康な状態を知っている人とか、学生のころとかを知っている人とかだと、かえって、その、「へー、痛いんだー。そうなんだー」って、「私もね」って、「私も病気があって」っていう感じになって。私の話じゃなくて、話をしている相手の話とか、相手の病気の経験の話になってしまって。で、しかも私からすれば、私よりは明らかに軽いなって思ってしまう人とかだと、やっぱり話ししてても自分の話をさえぎられたような気がして、あまりよく、こう、いい感情を思わなかったりとか。
あと年齢的に、その、結局、結婚して子どもがいないので、子どもを産んだ人とかにすれば、私がそういう何年も苦しい状況でというのとかはわからなくて、「いや、実は病気で」っていう話になって。でも、何かこう、話の過程で相手が子どもいたりとかすると、「いいよね」って話になると、「じゃあ、今から産めばいいじゃない」とか話になると、とても子どもを産めるような状態とかではないし。すごくなんか、この年齢になってからものすごく、その、結婚とか、子どもを産めばいいとか簡単に言われたりとかすることとかにすごく傷ついて。
で、なんかもう傷ついてしまったことをスルーできればいいんですけど、結局何もしてないので、家にいて、ずーっとテレビ見てるか、ネットやってるかだけなので、結構ちょっとした会話とかがものすごい大きなウエイトになってくるので、すごくすごくそれが怒りに変わってきたりとかしてしまって。てなると、もう人を拒絶するしか自分にはもう手段がなくなってきて。てなると、だんだんこう、友達もいなくなってくるし。うん。
インタビュー20
- 以前は完全な健康体を目指していたが、10年スパンで見ると結局悪化していて、元気でバリバリ働くのは絶対無理だとわかった。たぶん一生つきあうんだなという覚悟は出てきた
- 外出すると全身が痛くなるが、たまにスーパーで5分ほど買い物をするのが楽しみで唯一の社会参加なので頓服をつかうなど工夫して、できることを最大限しようと思っている
- なんとか身のまわりのことを自分でやりつつ、掃除は頻度を減らしたり、簡単にできる方法でやっている。食事をつくることで家族内での自分の役割を感じることができる
- 痛みがあっても何かできたというのがないと何もない人生になってしまう。翌日具合が悪くなるリスクがあっても、自分ができる小さなことを最大限にやろうと思っている
- 今は一番の楽しみがテレビ。好きなタレントが出る番組や映画公開を楽しみに生きている面がある
- 常勤のときには、休職中でも傷病手当金でなんとか生活できたが、アルバイトを始めると体調次第で収入が減るので親からの仕送りが必要になる
- (うつ病と診断されていたので)障害年金をもらうことができたが、痛みをもちながら手続きをすることはとても大変で一人ではできなかったと思う
- 線維筋痛症で2年近くリリカなどの鎮痛補助薬を飲んでいたが、さまざまな副作用が出たので、今はトラムセットがメイン。痛みはなくならないが、副作用が少ないのがいい
- 診断がつくと安心するが治療してもよくならず疑心暗鬼になる。新たに神経難病の疑いがあると聞き、気持ちの問題ではないとわかったが、すっきりせず前向きになれない
- 認知行動療法など心理学の本を読み、健康法や民間療法も色々試したが結局成果は出ず、身体も動かず無理だと感じ、熱心にしなくなったら身体が楽になった
- 自分の痛みを伝えても話がすり替わったり、簡単に結婚や出産のことを言われると傷つき、それが怒りに変わってしまうので友人を拒絶するしかなかった
- 寄り添うのは援助する側の自己満足のケースが多いと思う。本当に手助けしてほしいところに具体的に手を差し伸べてもらえるのが一番ありがたい
- 新しい薬を出されて合わないと思ったときに自分で計画的に減らして飲んだり、以前に効いた薬を出してくれるように要求したりしていたら、医師との間に溝ができてしまった