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インタビュー時:54歳(2016年12月)
疼痛期間:20年
診断名:脊椎損傷後神経因性疼痛。
首都圏在住の男性。30歳の時に交通事故により、両手足が完全麻痺となり、日常生活は電動車椅子を用い、ほぼ24時間介助者とともに過ごす。事故後4年目ぐらいより、両足と右腕、特に手先が強い痛みに襲われるようになる。疼痛が出始めてからも、心療内科医として働き、大学で教鞭をとっていたが、次第に業務との折り合いが困難となり5年前に退職した。現在は市民活動に参加したり、医療系の学生に重度障害者の在宅ケアについて教えたりすることを通じて、自身の体験を社会に還元することを目指している。
語りの内容
えっと、関係性の話で言えばやっぱり、あの、あ、自分は痛いっていうことを、伝えたくなりますよね、どうしてもね。自分でも言ってしまうんですけども。相手はそれを共有することもできないし、どうすることもできないと。また相手は何もしてあげられない自分ということになってしまうわけですし、こちらは理解してもらえないっていう気持ちばかりが募って、その関係性が悪化しちゃうんですね。
で、それは、さっき言ったように、だから、あの、何もできない、共有できないっていうことを前提にもう初めからわかっていれば、あの、ほかの面で、だけど、まあ、じゃあ、一緒にどこかに行こうかとか、だけど、じゃあ、何々するのを手伝うねとか、そういうふうにしていければ、あの、いいわけで。その痛みのことで、その近い人の関係悪化をやっぱり防いでいかないといけない。
それから痛みがやっぱり情動と強く関係しているので、で、その、特にやっぱり怒りっていうことと関連する、ので。あの、割と僕も穏やかな性格だったんですけども、やっぱりこの痛みが出てから、すごく怒りやすくなっちゃって。あの、怒るっていうことは人間関係を悪化させますから、痛みそのものでもやっぱり痛みだけでも、こう、孤立しやすいんですね。で、その怒るってことでやっぱり周囲との関係性は、やっぱり悪く、どんどん悪くなってった時期っていうのは、やっぱり何年かあって。
で、自分でも、まあ今、今もちょっとすぐ怒っちゃったりするところがあるんですけど、まあそれはなるべく制御するようにしてて。あの、ただ、まあ怒りやすくなりやすいのは、あの、人間関係を悪くするので。あの、それもまあ症状なんですよね、一種のね。あの、なので、そこは、あの、よりコントロールしていきながら、あの、どこかで、まあまあ発散もしながらやってくしかないんだというようなことなんですけど。やはり、良好な人間関係のほうが、あの、ね、まあ同じ痛いんでも、同じ痛いんだったら、まあ楽しい話をしてて。でも、結構やっぱり楽しい話をしてても、「大丈夫?」って聞かれることがあるんです。やっぱり、あの、痛いのは痛いんです、楽しい話をしててもね。だけど、まあそのほうがいいわけだから。
インタビュー35
- 睡眠不足になると痛みもひどくなり、ますます眠れないという悪循環になるので睡眠薬を使っても睡眠をとったほうがよい
- 同じ症状の患者のネットワークを作りたいが、痛みは根本的に共有できないので、がん患者のようにポジティブに問題意識を共有することが難しい面もある
- 頚髄損傷後、最初は知覚のない下肢に時折ビビッと電気が走るように痛んだ。しばらくして常時痛くなり、割れているガラスの上をザクザク歩いているような痛みになった
- 頚髄損傷後の痛みのメカニズムについては最近かなりわかってきた。慢性痛が起こるメカニズムの一つは脳の可塑性。痛み脳が出来上がってしまう
- 慢性の痛みには集学的医療が必要。慢性疼痛の社会的コストは大きい。色々な人が知恵を出すことで活躍の場が増やせるし、情報が得られることで患者も希望を持てる
- 短時間に多くの患者を診るクリニックの仕事は、無理をしようと思えばできたかもしれないが、患者に影響を及ぼしたくなかったので手を引いた
- 痛みは怒りと関連し人間関係を悪化させるので、痛みがあっても怒りをコントロールして楽しい話をするようにしている