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インタビュー時:45歳(2014年12月)
疼痛期間:約22年
診断名:腰椎椎間板ヘルニア

北海道在住の女性。看護師として働いているとき、重い酸素ボンベを運搬したことをきっかけに以前からあった腰痛が悪化。2回の髄核摘出手術を受け、その後も医療機関を転々とした。入院中に参加した患者会で、「痛いから痛い」と痛みにとらわれるのではなく、考え方の方向転換をするきっかけを得た。現在、信頼のできる医師との出会いを機に、鎮痛剤の過剰服用もやめ自己調整できるようになり、休職中に整体師の資格を得て就業したが、復職と退職を繰り返し10年ぶりに夜勤のある看護師に復職している。

語りの内容

たまたま、あの…痛み、2回手術、2回、まあしたんですけど、2回目終わって、しばらく仕事は実際してなかったんですね。その間に、えー…、整体師のほうの、あの、ハローワークを通しての整体師の緊急雇用対策というものがあって、たぶん通過はしないでしょということで、たまたま受験したら通りまして。そこで自分も勉強していく中で、結局自分の体のバランス、中心バランスが悪いんだっていう部分に気づいたのもあって、えー、勉強はまあ3カ月しましたけど。……その中でやっていくうちにだんだんやっぱり、整体師自体、ちゃんと中心に乗れないと、人のこと(治療)をできない。正しい圧を入れれないっていう部分ですごく痛み自体は、遠ざかってたんですね。そこから、やっぱりあの、整体師のほうで少しの間食べてて、「あ、こんないいことはない」と。

でも、それを仕事に、本来の仕事に生かせればなっていう部分で、やっぱり仕事、ナースに戻ろうっていうことで戻って。やっぱりバタバタしつつ、まあそのとき同じ勉強をしてきた仲間のところに電話して、「ちょっと調子悪いんだよね」っていう感じで頼んで。えー、お互い、まあ、その相手である友達、施術をする側の相手、友達自体もやっぱり痛い人の部分のお客さんというか、顧客がいなくて、たまたま私を通して彼女も「あ、こっちの方向だったらその痛みのときにはだめなんだ」っていうのもあるし、私は私で逆にほぐしてもらえてるんで、まあ筋肉が硬くなる前にほぐす方向で。完全に動けなくなるまで自分の仕事をするんではなくて、ここまでだったらまだ大丈夫っていうのがだんだんできてきて、それで、しばらく、まあ、マッサージというか整体のほう、かかりに行きつつ本業である仕事をしたっていう時期もやっぱりありましたね。

私は: です。

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