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インタビュー時:75歳(2015年7月)
疼痛期間:6年
診断名:視床痛 腰痛
関東地方在住の女性。2009年、脳出血発症。右半身に麻痺が残ったが、杖を使って歩けるまでに回復した。退院後、右半身の痛みが出現し、視床痛(*)と診断された。以前より薬に抵抗感があり、鎮痛薬はなるべく使用せず、仕事や楽しみをみつけ、気を紛らせながら4年間すごした。2013年、交通事故と2度の転倒により左手、第1腰椎、左大腿骨を骨折し、8か月入院した。退院後は訪問リハビリテーションのサービスを利用しながら生活している。
*脳の中の視床と呼ばれる部位の血管障害で発生する半身の痛み
語りの内容
この痛みをね、どんな痛みかってよく人に聞かれるんですけど…、何ていったらいいのかな。私は、例えばドライアイスありますよね。あれを当てられた痛みっていうのを想像できます? なんか熱いような、冷たいような。そんなこう、わーっと内からそれがこう湧き出てくるような痛みなんです。で、そこへ痺れが加わる。だから、それがもう四六時中どっか、もうここが痛くないときは、足が痛いし、両方痛いときもあるし、それにもう耐えるのになんか疲れちゃって。うん。もう6年間です。6年近くですから。で、そのケガをした事故に遭った後から、もっとひどくなっちゃって。もう何ていうんだろう。時々、ね、子どもも誰もいなかったら、早く死んじゃったほうが楽になるなとか思うときもあるんですけど。やっぱりね、残された者のことを考えたらね、それもできないな、なんて思って。まあ、泣きたいのを堪えてというか、泣きたいけど、泣いてもね、治るわけじゃないから泣いてもしようがないかと思いながら暮らしてますけど。
インタビュー15
- ドライアイスを当てられたような視床痛の痛みとつきあうのも6年になり、耐えるのに疲れて、時々子どもがいなかったら早く死んだ方が楽になると思うときもある
- 腰を折ってから、痛みがあり歩くのが怖い。リハビリの先生と歩く練習をしているが、普段は天候にも左右され一人で出かけることが難しい。
- 同じ病気の人と交流できれば少しは孤立感から救われると思うが、実際呼び掛けても2-3人しか集まらなかったらしい。自分も出られないのだからそれはそうだろうと思った
- 退院後しばらくして自分は身障者だと気づき申請し障害者手帳をもらった。それで税金の負担 を軽くしたり、リフォーム費用にあてることができた(テキストのみ)
- リハの先生が来てくれるのが楽しみ。歩行訓練やマッサージの時に「何でも話を聞くよ」「もっと自分を褒めてあげて」と慰めるようなこと言ってくれるのが一番の救い
- 入院したとき、訪問リハの理学療法士がすぐ来てくれ、腰が痛くないベッドの角度やトイレについて一緒に考えてくれた上、休日返上で病院の担当看護師に伝えてくれた
- 痛みは気持ちの持ち方で変わる、みんな我慢していると言われ悲しく傷ついた
- 近所の人がゴミ出しの日に声をかけてくれたり、飼い猫を通して近所の人とも交流でき、自分ができないところを気遣って助けてくれる