インタビュー時:44歳(2015年6月)
疼痛期間:5年
診断名:線維筋痛症
関東在住の女性。看護師。 2010年夏に全身に強い痛みが発作的に出るようになった。線維筋痛症と診断されるまで半年もかかり、治療を開始したが効果がなく医師にさじを投げられた。その間、痛みのために退職し、自宅に閉じこもる生活を送っていた。しかし、同病者のブログをきっかけに海外の治療などを調べ、現在のペインクリニックの医師や漢方医にたどり着き、2か月ほどで徐々に痛みはよくなった。現在は、痛みをコントロールしながら、学業と仕事を両立する生活を送っている。
プロフィール詳細
見城さん(仮名)は、22歳の時に交通事故にて左肋骨を強打した。そのことが原因で慢性的な軽い痛みが続いていたが、日常生活には支障なく暮らしていた。しかし2010年夏に、全身に強い痛みが発作的にでるようになった。その痛みは、鋭利な刃物で体中を刺されるような痛みで、肋骨から上半身を中心に始まり、頭のてっぺんからつま先まで全身に広がった。またひどい時には、半日くらい痛みが続いた。また同時期にリウマチになり、物をもつこともできず、杖歩行せざるをえなくなった。
原因不明のまま痛みはよくならず、近所の医師より「線維筋痛症」の可能性があるから専門医を受診するようすすめられた。専門医の初診予約が3か月後であり、2011年2月にやっと受診でき、線維筋痛症と診断された。診断名がついたことで治るという強い期待感をもち、処方された内服薬を半年ほど飲み続けたが全く効かなかった。医師より「日本の医療の限界。これ以上の治療はできない」とさじを投げられた。
職場では、痛みは精神的なもので仮病じゃないかと疑われた。さらに痛みの増強により働くことが困難となり、退職した。友人とのつきあいも疎遠になり孤独であった。両親は田舎に戻ってくることをすすめたが、線維筋痛症の専門病院がなかったので、帰省せず耐えるしかなかった。
同病者のブログをきっかけに海外の情報を自ら収集した結果、米国で臨床経験のあるペインクリニックの医師にたどりついた。医師は米国での治療をやっても治るのは50%以下であるという限界を告げたが、精一杯やることを保証してくれた。この医師は、謙虚であり、痛みが強いときには、あえて声はかけないが、見守ってくれているという安心感を与えてくれ、2か月ほどで痛みが和らいでくるようになった。そこで、復職し、資格試験に合格し自信をえた。現在は、痛みをコントロールしながら、大学に編入し学業と仕事を両立しながらすごしている。
線維筋痛症の痛みは、慢性的な痛みにストレスが加わることで、痛みの感じ方が増してしまう疾患であるととらえている。そのため、ストレスをためないこと、痛いときには薬やブロックなどの治療に頼ってかまわないと思っている。痛みによって、医療者としての姿勢や患者への接し方を学んだので、今後の仕事にいかしていきたいと思っている。
原因不明のまま痛みはよくならず、近所の医師より「線維筋痛症」の可能性があるから専門医を受診するようすすめられた。専門医の初診予約が3か月後であり、2011年2月にやっと受診でき、線維筋痛症と診断された。診断名がついたことで治るという強い期待感をもち、処方された内服薬を半年ほど飲み続けたが全く効かなかった。医師より「日本の医療の限界。これ以上の治療はできない」とさじを投げられた。
職場では、痛みは精神的なもので仮病じゃないかと疑われた。さらに痛みの増強により働くことが困難となり、退職した。友人とのつきあいも疎遠になり孤独であった。両親は田舎に戻ってくることをすすめたが、線維筋痛症の専門病院がなかったので、帰省せず耐えるしかなかった。
同病者のブログをきっかけに海外の情報を自ら収集した結果、米国で臨床経験のあるペインクリニックの医師にたどりついた。医師は米国での治療をやっても治るのは50%以下であるという限界を告げたが、精一杯やることを保証してくれた。この医師は、謙虚であり、痛みが強いときには、あえて声はかけないが、見守ってくれているという安心感を与えてくれ、2か月ほどで痛みが和らいでくるようになった。そこで、復職し、資格試験に合格し自信をえた。現在は、痛みをコントロールしながら、大学に編入し学業と仕事を両立しながらすごしている。
線維筋痛症の痛みは、慢性的な痛みにストレスが加わることで、痛みの感じ方が増してしまう疾患であるととらえている。そのため、ストレスをためないこと、痛いときには薬やブロックなどの治療に頼ってかまわないと思っている。痛みによって、医療者としての姿勢や患者への接し方を学んだので、今後の仕事にいかしていきたいと思っている。
インタビュー09
- 布団の重みでさえ痛いということが続き、ずっと不眠でイライラし、家族や職場の人にも八つ 当たりしてしまった
- 線維筋痛症でブロック注射を受けていたが、一定回数を超えると自費扱いになるので続かない。効果が切れれば痛みが再発する。その繰り返しでその場しのぎの治療だった
- 田舎には専門病院がないため治療を続けるためには帰りたくても帰れなかった。親の仕送りでなんとか治療を続けた
- 日常生活に支障をきたすような強い痛みで、「線維筋痛症ではないか」と指摘され、専門医を受診して診断を受けた。リリカを半年飲み続けたが全く効かなかった
- 当時日本ではリリカしかなかったので海外に情報を求め、トラマール、アセトアミノフェン、ノイロトロピンを出してもらって、ペインコントロールが図れるようになった
- 確定診断がつかない中で治療を受け、なかなか治らなかったが、線維筋痛症と診断されたときにはこれでちゃんとした治療が受けられる、治る、普通の生活が送れると期待した
- 自分の思考を変えるきっかけとして臨床心理士を頼った。保険の効かない高額なものはとても無理だと思い、ネットでNPO法人の1回2,000円程度のものを見つけた
- 病気をきっかけに勉強したい気持ちが強くなり大学に編入した。仕事と学業の両立は大変だが先行きの見える人生を送ることができていることに満足している
- 職場では仮病ではないかと疑われ、友人も痛みのある自分とどうつきあったらよいのかわからなかったのかみんないなくなった
- (当時受けていた治療が)「日本の医療の限界」といわれ、自ら海外の文献を検索して新しい治療法を見つけ出し、アメリカでその治療の経験がある医師を探して治療をお願いした