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インタビュー時:74才(2015年8月)
関係:慢性の痛みを持つ42歳の女性(本人インタビュー19)の母
首都圏在住。次女が子どもを産んで1年ほど経った2003年頃から、全身の痛みを訴えるようになった。様々な病院を受診したが改善せず、そのうち薬剤がどんどん増え、寝たきりのような状態となった。その間、孫を自宅に引き取り育てながら、家族一丸となって娘を支えた。薬剤に依存していたが、民間療法を試み、減薬したところ、痛みが治まっていった。現在は睡眠薬と2種類の薬の内服のみで痛みはコントロールでき、家事や仕事もできるようになった。
語りの内容
で、その間、まあ、あの、孫はですね、ほとんど私どもで預かっておりました。あの、3歳までですね。ですから、約丸2年ぐらいは。あの、発病する1年弱は本人の家にいて、あの、私どもは通って世話をしながら。それで、その後もう動けなくなってしまいましたので、あの、本人はうちで寝たきり。で、そのときに、その夫たる、あの、婿さんですね。何かとお弁当を買ってきてくれたり。もうご飯の支度もできなくなり、これでは孫の世話もできないというんで、まあほとんどうちで、面倒…、育てたようなもんなんですけれども。
あの、そのときはですね、うーん。ちょうどね、あの、うち、内孫(長女の子)が半年前に生まれておりまして、半年後に(次女の子が生まれた)。で、あの、2人とも私が、産後の世話をしましてね。で、うちでは、半年の子がいるわけですよね。ですから、あの、娘(次女)の子が来ても、あの、全部揃ってて。で、もうあの、それこそ、生まれてしばらくはね、それでもあの人の家で、1歳前までですかね。あの、ちょうどミルクを飲んでる最中は、夫婦でやってたみたいなんですが、いよいよだめになってからは、うちで。もうね、あの、当然のように、もう双子ちゃんを育てようということを家族で話し合いまして、全員家族の協力で、受け入れようということで。
で、パパはもう仕事で、昼間はいないでしょう。で、あの、(孫がうちに)おりましたんで。もう、ちょっともうとても、あの、本人(孫)が親(娘)と離れて暮らすのを悲しがりましてね、よく泣きましたね。でもね、もう心を鬼にして、もう私は、この子を育てるんだと。だから、自分の子どもだと思って、あの、預かりました。ですから、もう全部、うちにいる内孫と同じ待遇で。もう全てみんなが、もういいも悪いも全部受け入れましてね、ええ、やりました。だから、3歳、満3歳まではうちでほとんど暮らしておりました。
家族インタビュー04
- 娘の訴えに周囲は半信半疑だったが、自分と夫だけは指導的なことを言わないで、彼女の言葉を全部受け入れ、生活のフォローをしようと覚悟を決めた
- 体調がよくなるまで孫を預かることにしたが、本人まで預かってしまうと上げ膳据え膳で起き上がれなくなってしまう。自立を促す意味で娘は自宅で過ごさせるようにした
- 娘が痛みで動けず、寝たきりでご飯の支度もできなくなり、子どもの世話もできないだろうということで、孫を預かって3歳になるまで、丸2年は面倒をみていた
- 上の娘が見つけてくれたペインクリニックや親戚が教えてくれたカイロプラクティックに通い、知り合いの紹介の漢方医にもかかったが、光が見えることはなかった
- 町の精神科で娘に出されていた薬はかなり強い薬だということを新聞記事で知り、転院先の病院では談判してやめてもらった
- 自分の子どもと離れて暮らし、娘に代わって家事をやってくれた婿さんはよくぞ耐えてくれた。娘を丸ごと受け止めてくれたことを感謝している
- 長女は次女の子を預かることをいとわず、長女の子は次女が寝ていれば遊んでもらいたいのを我慢した。家族の中にあ・うんの呼吸で助け合う協力体制が出来上がっていた