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インタビュー時:74才(2015年8月)
関係:慢性の痛みを持つ42歳の女性(本人インタビュー19)の母
首都圏在住。次女が子どもを産んで1年ほど経った2003年頃から、全身の痛みを訴えるようになった。様々な病院を受診したが改善せず、そのうち薬剤がどんどん増え、寝たきりのような状態となった。その間、孫を自宅に引き取り育てながら、家族一丸となって娘を支えた。薬剤に依存していたが、民間療法を試み、減薬したところ、痛みが治まっていった。現在は睡眠薬と2種類の薬の内服のみで痛みはコントロールでき、家事や仕事もできるようになった。
語りの内容
あるとき、上の娘が、あるペインクリニックを、見つけまして。あの、痛みには、ペイン――いわゆる麻酔科ですね。麻酔科のペインがいいんじゃないかということで、もう、やみくもにもう申し込んで。あの、調べてくれたもんですから、即。それで、そこで受けて、受け出したのが、うーん、約何年になりますか。うーん、3年間ぐらいでしたかしらね、ペインクリニックに。で、痛みのためには麻酔を打つんですね。そしてトリガーポイントにやっぱり麻酔のブロック注射を、ずーっと続けてたんですが、それでも、1週間に1回、通っておりましたんですけれども。麻酔をして帰ってきて、翌日はもうだめなんですね。
それで、何かないかということで今度は、親戚が教えてくれた接骨院のカイロプラクティックですね。そこにも行きまして、1年。で、その先生は、「もう1年でこれ以上治すことがない」と言われて、そこで放たれまして。そのころもう、薬を、たくさん飲んでるために、あの、何ていうかな。うーん…、胃腸が悪く――悪いっていうか、いわゆる体の、たまったものが出せなくなってきてたんですね。うん。で、尿もしにくい。それから便も出しにくい。
そういうので、あるとき、やっぱり知り合いで、あの、漢方の先生を、やっぱり知っておりまして、その先生のところに行ったんですね。そこで、解毒のための、お小水が出るようになる、それから下剤をかけて便を出す。そういうようなことをやっぱり…、やってくれましたね。それでも、それをずーっと続けながら、ペインクリニックに通い、接骨院に通いっていうことで、もうただ、そういう状態の中で光が見えることがなかったんですね。
家族インタビュー04
- 娘の訴えに周囲は半信半疑だったが、自分と夫だけは指導的なことを言わないで、彼女の言葉を全部受け入れ、生活のフォローをしようと覚悟を決めた
- 体調がよくなるまで孫を預かることにしたが、本人まで預かってしまうと上げ膳据え膳で起き上がれなくなってしまう。自立を促す意味で娘は自宅で過ごさせるようにした
- 娘が痛みで動けず、寝たきりでご飯の支度もできなくなり、子どもの世話もできないだろうということで、孫を預かって3歳になるまで、丸2年は面倒をみていた
- 上の娘が見つけてくれたペインクリニックや親戚が教えてくれたカイロプラクティックに通い、知り合いの紹介の漢方医にもかかったが、光が見えることはなかった
- 町の精神科で娘に出されていた薬はかなり強い薬だということを新聞記事で知り、転院先の病院では談判してやめてもらった
- 自分の子どもと離れて暮らし、娘に代わって家事をやってくれた婿さんはよくぞ耐えてくれた。娘を丸ごと受け止めてくれたことを感謝している
- 長女は次女の子を預かることをいとわず、長女の子は次女が寝ていれば遊んでもらいたいのを我慢した。家族の中にあ・うんの呼吸で助け合う協力体制が出来上がっていた