インタビュー時:59歳(2016年9月)
疼痛期間:13年
診断名:不明
東海地方在住。女性。夫(家族インタビュー05)と二人暮らし。2002年(44歳のとき)に夫の運転する車で事故にあい、頸椎の脱臼骨折による頸髄損傷で四肢に麻痺やしびれが残る状態となった。2003年頃、ひざ下の焼かれるような痛み、指先からひじにかけての刃物で切られるような痛みが出て現在も続いている。リハビリテーション科やペインクリニックなどに連携して対応してもらうことができた。痛みがあっても、夫や娘家族などのサポートも得ながら、主婦として生活できている。
プロフィール詳細
現在、東海地方で夫と二人で暮らしている若園さんは、2002年に夫の運転する車で事故にあい、頸椎5番6番の脱臼骨折による頸髄損傷で不全四肢麻痺(手足はリハビリ後動かせるようになったが、足は異常な感覚が残る)となった。2003年頃ひざ下の焼かれるような痛み、指先からひじにかけての刃物で切られるような痛み、さらに背中からひざにかけての痛みが出てきた。両足は実際に触れるとすごく冷たいが、「常に夏の炎天下で直射日光に焼かれている」、「ガスバーナーで焼かれているよう」な感覚がある。リハビリを継続し短い距離を自分で歩くことができるようになったが、現在も激しい痛みは断続的に続いている。特に夕方になると痛みがピークになり、激痛で吐き気をもよおす時もある。
脊髄損傷の人同士でも、痛みの度合いがちがうので痛みの状況が理解されない、分かってもらえないという辛さはあった。医師からは「神経が切れているから仕方がない」と言われたが、拷問のような痛みが続き、1年半ぐらいは自宅に引きこもった。訪問リハビリも受けたが、痛みを口実に怠けていると受けとられて訪問を断られ途方に暮れたこともあった。しかし、夫や友人の協力で痛みに理解のある医師にめぐり会うことができ、「一緒に頑張ろう、たくさんやることがあるよ」と言われたことで、一気に視野が開けた。
ひとりでも排尿できるようにと練習の仕方を工夫してくれた看護師や、痛みを考慮しながら対応してくれる理学療法士の手助けを受けられたことで、自立したいという願いが叶っていった。現在までさまざまな医療スタッフに恵まれたことに感謝している。
起きている間じゅう痛みはあるが、プールへ出かけるなどして体力の維持に努めたり、友人達と交流したりして痛みにとらわれない生活を心がけている。娘の家まで1時間ぐらい自分で車を運転して孫に会いに行ったり、携帯のテレビ電話で孫と話したりすることを通して、孫の成長を見守ることが元気の源になっている。深い眠りについているときは痛みがないので寝ている時だけ、痛みから解放される。犬とウサギと暮らしていて、家族同様にかけがえのない存在となり、生活を豊かにしてくれている。
事故後、夫が家族の様子を紹介するウェブサイトで痛みについて書き始めたところ、ネットワークづくりができた。そのおかげで、同じ境遇の人達ともつながることができた。海外の痛みに関するウェブサイトを紹介するなど、夫は自分のために一生懸命活動し一番理解してくれていると思う。原因がわからない事故だったが、夫は自らの運転で怪我をさせた負い目があるのではと思っている。自分が痛みのせいで元気がなくなるとそれ以上に夫の元気がなくなるため、カラ元気でいようとしているが、時にはそれが難しい時もある。
娘は高校生の時から自分の痛みのことを見てきたので、よく理解してくれている。精神的におかしくなりそうな状況になると、察知して声をかけてくれる。また、娘なりに気持ちの優しさを見せてくれるので心の支えとなっている
慢性の痛みは、命にかかわる病気ではないかもしれないが、命に限りのある病気と比べて死ぬまで痛みがある状態で「我慢の世界で生きる」のかなと感じ、とても残酷だと思う。医療・福祉に関わる人達には、室内照明や、音楽、風が当たること、お風呂で跳ねる水などが痛みの元になるような患者がいることを知って関わってもらいたい。また、自分のように、ドクターショッピングなどしないで済むように、海外にある「痛みセンター」のような施設が欲しい。医師やセラピスト、臨床心理士、看護師などが連携して集学的な治療にあたるような医療のあり方を提言したい。
脊髄損傷の人同士でも、痛みの度合いがちがうので痛みの状況が理解されない、分かってもらえないという辛さはあった。医師からは「神経が切れているから仕方がない」と言われたが、拷問のような痛みが続き、1年半ぐらいは自宅に引きこもった。訪問リハビリも受けたが、痛みを口実に怠けていると受けとられて訪問を断られ途方に暮れたこともあった。しかし、夫や友人の協力で痛みに理解のある医師にめぐり会うことができ、「一緒に頑張ろう、たくさんやることがあるよ」と言われたことで、一気に視野が開けた。
ひとりでも排尿できるようにと練習の仕方を工夫してくれた看護師や、痛みを考慮しながら対応してくれる理学療法士の手助けを受けられたことで、自立したいという願いが叶っていった。現在までさまざまな医療スタッフに恵まれたことに感謝している。
起きている間じゅう痛みはあるが、プールへ出かけるなどして体力の維持に努めたり、友人達と交流したりして痛みにとらわれない生活を心がけている。娘の家まで1時間ぐらい自分で車を運転して孫に会いに行ったり、携帯のテレビ電話で孫と話したりすることを通して、孫の成長を見守ることが元気の源になっている。深い眠りについているときは痛みがないので寝ている時だけ、痛みから解放される。犬とウサギと暮らしていて、家族同様にかけがえのない存在となり、生活を豊かにしてくれている。
事故後、夫が家族の様子を紹介するウェブサイトで痛みについて書き始めたところ、ネットワークづくりができた。そのおかげで、同じ境遇の人達ともつながることができた。海外の痛みに関するウェブサイトを紹介するなど、夫は自分のために一生懸命活動し一番理解してくれていると思う。原因がわからない事故だったが、夫は自らの運転で怪我をさせた負い目があるのではと思っている。自分が痛みのせいで元気がなくなるとそれ以上に夫の元気がなくなるため、カラ元気でいようとしているが、時にはそれが難しい時もある。
娘は高校生の時から自分の痛みのことを見てきたので、よく理解してくれている。精神的におかしくなりそうな状況になると、察知して声をかけてくれる。また、娘なりに気持ちの優しさを見せてくれるので心の支えとなっている
慢性の痛みは、命にかかわる病気ではないかもしれないが、命に限りのある病気と比べて死ぬまで痛みがある状態で「我慢の世界で生きる」のかなと感じ、とても残酷だと思う。医療・福祉に関わる人達には、室内照明や、音楽、風が当たること、お風呂で跳ねる水などが痛みの元になるような患者がいることを知って関わってもらいたい。また、自分のように、ドクターショッピングなどしないで済むように、海外にある「痛みセンター」のような施設が欲しい。医師やセラピスト、臨床心理士、看護師などが連携して集学的な治療にあたるような医療のあり方を提言したい。
インタビュー29
- 寝付くまでに時間がかかっても、深く眠っているときは、痛みは感じないのでそれが救いである
- 夕方、痛みが強くなるため、夕飯をつくるのが一番つらい。休み休みやればいいというが、しんどくても一気にやってできたほうが満足感、達成感があってよい
- 孫が生まれたことで成長を見届けたいと思うようになった。孫と接することで痛みから気を紛らわすことができている
- 県外の病院に通うための交通費や宿泊費の負担も大きい。自分の状況を見てその都度対応してくれるのはそこの病院しかないので必要なお金だと思っている
- 慢性疼痛の患者は、わらをもすがる思いで色々な方法を探し、痛みを抱えた状態であちこち行かざるを得ない。自分に合う方法を教えてくれる場所があったらいいのに
- 頚髄損傷後の訪問リハビリの先生に痛みをサボる言い訳にしていると思われ、「そんなに痛い痛い言っている人は診てあげられない」と言われて途方に暮れた
- どこに行っても「我慢するしかない」と言われていたのに、「たくさんやることあるよ」「一緒に頑張ろう」と言われ、痛みが取れなくてもすごく視野が開けた感じがした