インタビュー時:54歳(2016年12月)
疼痛期間:20年
診断名:脊椎損傷後神経因性疼痛。
首都圏在住の男性。30歳の時に交通事故により、両手足が完全麻痺となり、日常生活は電動車椅子を用い、ほぼ24時間介助者とともに過ごす。事故後4年目ぐらいより、両足と右腕、特に手先が強い痛みに襲われるようになる。疼痛が出始めてからも、心療内科医として働き、大学で教鞭をとっていたが、次第に業務との折り合いが困難となり5年前に退職した。現在は市民活動に参加したり、医療系の学生に重度障害者の在宅ケアについて教えたりすることを通じて、自身の体験を社会に還元することを目指している。
プロフィール詳細
今崎さんは30歳のとき交通事故により頸椎を損傷。両手足の完全麻痺となり、日常生活は電動車椅子を用い、ほぼ24時間介助者とともに過ごす。事故後4年目ぐらいから、疲れたときや睡眠不足のときに両足(指先に近いところ・足の裏)と右腕、特に手先に痛みが出るようになり、次第に「粉々に割れているガラスの上をザクザク歩いている」、「神経の中に直接、鉄の棒を突っ込まれる」ような痛みが常時続くようになった。
もともと心療内科医として勤務しながら、大学で教鞭をとっていた。事故後は1年ほどで職場復帰し、研究などを行い、2年目からアシスタントをつけて臨床を始めた。さらにクリニックに移り、新設の大学での教職も務めた。在宅復帰後、自力で介助者を集めて生活基盤を作っていたが、不安定でありその事がストレスになることが多かった。
自らが医師という立場もあって、痛み止めについては訪問診療医に希望を伝えて処方してもらっていたところ、次第に薬の量が増えていった。最大容量近くまで使用していた薬があり、他の薬物との相互作用も加わって血圧低下や注意力が落ちるなどの副作用が出るようになった。仕事に支障を来たす前にと考え、5年前に一旦全ての職を辞した。その後、理由は不明だが用量の多かった薬物を突然、漸減なく打ち切られ、激しい離脱症状に苦しめられた。動くことも口をきくこともできず、幻覚と激しい痛みに悩まされる状態が1ヶ月あまり続いた。
その後も激しい痛みは続き、前触れなくさらに強くなるので、当日でも断れる友人と会うこと以外は、外出が出来なかったが、介助犬と近くの公園まで毎日散歩をすることがきっかけとなり、四季を味わううちに余裕も出てきて、状態が改善してきた。介助犬はこの頃はもうリタイアしていたが、現役のころはこちらの気持ちを察知して動いてくれた。近くに人が居ない時に困った状況に陥ったら、自ら人を呼びに行くなど、教えていない働きをすることもあった。3年前にその介助犬が亡くなったときは、体の半分が無くなったぐらいの感覚になり、しばらく痛みが増していた。その後介助犬ではないが、新たな犬を譲り受けて共に暮らしている。生活の中に生き物が介在していることで場が和むのを感じる。痛みが癒えるということではないが、犬の存在は情動に働きかけ、心の安定をもたらしてくれる。
痛みのメカニズムなど医学的な知識、理解は持ち合わせているので、できるだけ動いて外に出ていく、痛みがあっても集中できることを見つける、ということを心がけている。しかし、会話しているときでも痛みは常にあり、特に寝る前や仕事が終わり「ホッ」とした夕暮れどきに一番痛みが増す傾向がある。もともとは穏やかな性格だが、痛みが出てからは怒りっぽくなり、対人関係の悪化や孤立感も経験した。行動することを控えても、負荷の強い日々を送ることも痛みを強めるので、ストレスは避けるように、自分なりにバランスを取りながら生活していく術を持っていくことが必要と考えている。
痛みで体が全く動かせない、言葉を発するのも大変、「これ以上の地獄はない」という体験をしてここまで戻ってこられたことは、「これからも何とかやっていける」という、ある種の自信につながっている気がする。自分のパフォーマンスが落ちていても、これだけつらいのだからこそ、孤独な存在であるからこそ、社会の中で平和なつながりを求めていけるのかもしれないと思えるようになった。今後は痛みの当事者としての体験と、医療者としての知識の両面を活かしてできることを探していきたい。
もともと心療内科医として勤務しながら、大学で教鞭をとっていた。事故後は1年ほどで職場復帰し、研究などを行い、2年目からアシスタントをつけて臨床を始めた。さらにクリニックに移り、新設の大学での教職も務めた。在宅復帰後、自力で介助者を集めて生活基盤を作っていたが、不安定でありその事がストレスになることが多かった。
自らが医師という立場もあって、痛み止めについては訪問診療医に希望を伝えて処方してもらっていたところ、次第に薬の量が増えていった。最大容量近くまで使用していた薬があり、他の薬物との相互作用も加わって血圧低下や注意力が落ちるなどの副作用が出るようになった。仕事に支障を来たす前にと考え、5年前に一旦全ての職を辞した。その後、理由は不明だが用量の多かった薬物を突然、漸減なく打ち切られ、激しい離脱症状に苦しめられた。動くことも口をきくこともできず、幻覚と激しい痛みに悩まされる状態が1ヶ月あまり続いた。
その後も激しい痛みは続き、前触れなくさらに強くなるので、当日でも断れる友人と会うこと以外は、外出が出来なかったが、介助犬と近くの公園まで毎日散歩をすることがきっかけとなり、四季を味わううちに余裕も出てきて、状態が改善してきた。介助犬はこの頃はもうリタイアしていたが、現役のころはこちらの気持ちを察知して動いてくれた。近くに人が居ない時に困った状況に陥ったら、自ら人を呼びに行くなど、教えていない働きをすることもあった。3年前にその介助犬が亡くなったときは、体の半分が無くなったぐらいの感覚になり、しばらく痛みが増していた。その後介助犬ではないが、新たな犬を譲り受けて共に暮らしている。生活の中に生き物が介在していることで場が和むのを感じる。痛みが癒えるということではないが、犬の存在は情動に働きかけ、心の安定をもたらしてくれる。
痛みのメカニズムなど医学的な知識、理解は持ち合わせているので、できるだけ動いて外に出ていく、痛みがあっても集中できることを見つける、ということを心がけている。しかし、会話しているときでも痛みは常にあり、特に寝る前や仕事が終わり「ホッ」とした夕暮れどきに一番痛みが増す傾向がある。もともとは穏やかな性格だが、痛みが出てからは怒りっぽくなり、対人関係の悪化や孤立感も経験した。行動することを控えても、負荷の強い日々を送ることも痛みを強めるので、ストレスは避けるように、自分なりにバランスを取りながら生活していく術を持っていくことが必要と考えている。
痛みで体が全く動かせない、言葉を発するのも大変、「これ以上の地獄はない」という体験をしてここまで戻ってこられたことは、「これからも何とかやっていける」という、ある種の自信につながっている気がする。自分のパフォーマンスが落ちていても、これだけつらいのだからこそ、孤独な存在であるからこそ、社会の中で平和なつながりを求めていけるのかもしれないと思えるようになった。今後は痛みの当事者としての体験と、医療者としての知識の両面を活かしてできることを探していきたい。
インタビュー35
- 睡眠不足になると痛みもひどくなり、ますます眠れないという悪循環になるので睡眠薬を使っても睡眠をとったほうがよい
- 同じ症状の患者のネットワークを作りたいが、痛みは根本的に共有できないので、がん患者のようにポジティブに問題意識を共有することが難しい面もある
- 頚髄損傷後、最初は知覚のない下肢に時折ビビッと電気が走るように痛んだ。しばらくして常時痛くなり、割れているガラスの上をザクザク歩いているような痛みになった
- 頚髄損傷後の痛みのメカニズムについては最近かなりわかってきた。慢性痛が起こるメカニズムの一つは脳の可塑性。痛み脳が出来上がってしまう
- 慢性の痛みには集学的医療が必要。慢性疼痛の社会的コストは大きい。色々な人が知恵を出すことで活躍の場が増やせるし、情報が得られることで患者も希望を持てる
- 短時間に多くの患者を診るクリニックの仕事は、無理をしようと思えばできたかもしれないが、患者に影響を及ぼしたくなかったので手を引いた
- 痛みは怒りと関連し人間関係を悪化させるので、痛みがあっても怒りをコントロールして楽しい話をするようにしている